【作品紹介】
「全日空雫石衝突事故」をモチーフとしています。1971年(昭和46年)、岩手県雫石町で発生した全日空機による大事故(死者数162名)※1です。日本では、1985年(昭和60年)、日本航空123便・通称ジャンボ機が群馬県の御巣鷹山(おすたかやま)で起こした墜落事故(死者数520名)※2に次いで大きな事故です。
この短編小説では時期を夏場から冬期に置き換えています。北大の学生時代に、札幌駐屯地の自衛官と、駐屯地近くの居酒屋で隣席となり、事故に直接携わった体験談を聞かされました。その時の印象が強烈に残っており、ジャーナリストでもない僕が、事故発生から50年以上も経って、短編小説という形で綴らせていただきました。
なお、挿絵イラスト等は、不謹慎と思われる向きもあるかとも存じますが、どうかご寛容の程 お願いいたします。
合掌

※2 通称ジャンボ機の御巣鷹山での墜落事故は、映画にもなり、日本中に強い衝撃を与えました。この飛行機には、歌手の坂本九さんが搭乗していました。当該ジャンボ機は、かつて尻もち事故(着陸時、機体後部底面を滑走路に擦りつけてしまうアクシデント)を起こしており、その修理が十分ではありませんでした。それが原因で、最後尾の垂直尾翼直前の胴体にある「圧力隔壁」が破損し、その影響で、垂直尾翼のほとんどが失われてしまったことが、直接の事故原因となりました。つまり操縦不能に陥ったわけです。圧力隔壁は、搭乗者を高高度の機内の減圧から保護する装置(気密性のある壁)です。戦闘機にはこの仕掛けはありません。機長らは、航空機が首都圏に落ちることを憂慮し闘いぬきました。その結果、群馬県の急峻な山中に航空機を落とすことには成功しました。このようにして甚大な2次被害は免れたものの、520名という前代未聞の死亡者を出してしまいました。なお、日本航空では、圧力隔壁の破損により事故が起きたという因果関係に関しては、未だにその事実を認めていないそうです。
※1 これに遡ること14年前の1971年の全日空機の事故では、自衛隊の練習機との衝突という、人為的なミスが、直接の事故原因でした。(ちなみに、岩手県雫石町というのは豪雪地域です。事故が起こったのは実際には夏でしたが……)衝突した訓練機には、教官と訓練生の2名が搭乗していました。当時、自衛隊は、世論の大バッシングを受けることになりました。裁判の結果、教官は有罪となり、訓練生は無罪となりました。その後、教官は自衛隊を辞めましたが、若くして亡くなったといいます。訓練生は、戦闘機から救難機のパイロットに転向し定年まで人命救助に尽力した、とニュースなどで伝えられています。御巣鷹山の事故では4名の生存者がありましたが、この事故では、搭乗者全員162名が亡くなっています。被害者やそのご家族にとっては無念の一語に尽きるのですが、加害者となった2名も生涯に大きな十字架を背負うことになりました。
正倉 一文






