付録2|会社と文学・歴史

journalisticな作品

1. 会社と文学

 帝國酸素(旧社名)は、作家・大岡昇平の小説『酸素』(新潮社、1955年〈昭和30年〉)の舞台としても知られる。1938年(昭和13年)、同社は大岡をフランス語翻訳係として神戸本社に迎え入れた。後年、大岡はこの勤務経験をもとに、戦前の神戸港や旧居留地の風物も織り込んだ同作を発表した。冒頭では神戸港の情景が描写されている。なお、神戸大丸の隣地には、本社旧社屋が現存している(上写真参照)。


 一人の小男が舷側げんそく(ふなべりの意)にもたれ、陸を眺めていた。海はまだ暗かった。波を消された港の水が拡がっていた。ドック、突堤、倉庫、起重機、煙突など、港の水際を形づくる設備が、さまざまの光度の燈火を、飾花のようにつけたまま、次第に輪郭を現わそうとしていた。遠く背景の六甲の山は、茜色あかねいろにあけかける四月の空に影絵を描き、その襞ひだの文様を明らかにするつもりらしかった。
 
——大岡昇平『酸素』第一章(冒頭部分)

 以下は、あらすじ。

 神戸の「日仏にちふつ酸素株式会社」は海軍と結びついて造船用の酸素を納入していた。その会社にひとりの青年が翻訳係として採用されたが、彼は非合法活動のために特高とっこう(特別高等警察)に追われる身だった。日ごとに緊迫の度を増す開戦前夜の暗い時代相の中に、実業家、軍人、地下活動家、女流画家などさまざまに入り乱れる多彩な人物群像、幾重にもからまり合う恋愛心理を冷徹な筆に描く長編。

2. 会社の歴史

 フランスのエア・リキード社を母体とする外資系の産業ガス企業である。前身は1930年に神戸で設立された帝國酸素株式会社であり、住友合資会社と仏エア・リキード社の共同出資によって創業された。社名に「帝國」の語を冠した背景には、外資系企業であることをカモフラージュする意図があったとする見方もある。
 帝國酸素は、フランスのエア・リキード社の技術支援のもと、アセチレンと酸素という産業ガス(工業ガス)の供給に加え、それらを用いた酸素アセチレン溶接技術も併せて軍部に提供していた。この高温溶接法は、とりわけ軍艦や潜水艦の建造に不可欠な工程であり、神戸の三菱重工神戸造船所(通称・
神船しんせん)などの軍需施設において重宝された。このように、帝國酸素は物質(ガス)と技術(溶接法)の両面から軍需産業を支えた企業であり、外資系でありながら神戸の地場産業的な性格も併せ持っていた。
 本社は当初、神戸市中央区磯辺通2丁目2番15号に置かれていたが、1990年には東京都港区虎ノ門1丁目の旧・日本ガス協会ビルへ移転した。1998年には社名を「日本エア・リキード株式会社」へ変更し、2010年には東京都港区芝浦3丁目のグランパークタワーへ本社を再度、移転した。
 補足すると、グランパークタワーは、NTT都市開発株式会社によって計画・建設された複合施設である。同社の起源は、旧・日本電信電話公社(通称・電々公社)の建設局にある。通信インフラの整備を担った電々公社は、三公社五現業(三公社とは、日本国有鉄道(現JR)、日本専売公社(現JT)・日本電信電話公社(現NTT))の一角であり、土木・建築分野においても卓越した技術力を有していた。そんな背景もありグランパークタワーには現在も多くのNTT関連企業が入居している。
 2019年11月5日、日本エア・リキードは株式会社から合同会社へと組織変更を行なった。これにより、仏エア・リキード社傘下のグローバル企業としての性格が明確になった。
 このように、日本エア・リキードは外資系企業として創業されたものの、神戸の地場産業的な風土を背景に発展し、東京へ本社を移転したあとは、東証一部上場企業としての側面を併せ持ち(神戸本社時代から東証一部上場企業だった)、現在では、グローバル企業としての位置づけを明確に打ち出している※1。
   

     

※1:これは、裏を返せば、東京に極東アジアの拠点を置くことがなくなったからともいえる。現在のそれはシンガポールに移っている。個別事情ではなく、今の潮流である。例えば、外資系企業の支社長クラスは、かつてのように、渋谷区松濤 (しょうとう) とか港区麻布台などの低層階マンションではなく、東京湾岸のタワーマンションなどを、社宅として貸与されていると聞く。つまり日本支社長はもはやファー・イーストの代表ではなくなったということである。

   

グランパークタワー(東京都港区芝浦3丁目)

(※当記事は他所に無償提供していたが内容の一部が不要となったのでこちらに回収)