黒いアゲハ蝶

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 十月も終わりの今日、母の納骨式があった。五年前に父を亡くし、そして今、母を見送ろうとしている。両親のいないこれからの日々を思うと、自分だけがこの世に残されたような心細さがあった。
 本堂で読経を終えたあと、お坊様が線香の煙について話してくださった。窓を閉め切った風のない本堂では、煙は一筋にまっすぐ立ち上る。けれど、ときとして、その煙がふいに右へ左へと揺らぐことがあるという。目には見えなくても、亡くなった人は仏様となり、こちらを見守ったり、何かを知らせようとしたりすることがある。お坊様は、そうした不思議な出来事について静かに語られた。
 このお坊様は、
円蔵寺えんぞうじさんという。父が亡くなった二〇二一年にもお世話になった僧侶である。円蔵寺さんは二〇二二年、務めのさなかに脳梗塞で倒れ、翌二〇二三年まで一年以上にわたって療養とリハビリを続けたという。今も右足には少し不自由が残る。それでも今日、山の木立が秋へ向かおうとする公園墓地まで足を運び、母を送ってくださった。
 その後、私たちは本堂から墓地へ場所を移し、母の墓前でお経をあげていただいた。墓地は東京都町田市、多摩丘陵の一角にある。山と谷が繰り返す起伏の多い土地柄で、周囲は木立に囲まれている。読経の声だけが、秋へ向かう木立の中に静かに響いていた。
 その静けさを破るように、一羽の黒いアゲハ蝶が現れた。蝶は私たちの目の前を横切り、二度ほど、確かめるようにこちらへ近づいてきた。自然豊かな場所とはいえ、十月も終わろうという時季である。
 円蔵寺さんは読経を止め、「ほら、黒いアゲハ蝶が飛んできているでしょう」と私に声をかけた。そして、あれは母自身か、あるいは五年前に亡くなり、先にこの墓に入っている父が、母を迎えに来たのかもしれない、と話してくれた。
 円蔵寺さんが再び読経を始めると、黒いアゲハ蝶はもう一度私たちに近づいてきた。今度は頭上を三回旋回し、それから私たちの背後へ飛び去った。本堂で聞いた線香の煙の話が、いま目の前で起きている出来事と重なった。
 あの黒いアゲハ蝶は、母だったのだろうか。それとも、父だったのか。答えは分からない。それでも、蝶が頭上に描いた三つの輪を見上げたとき、残された私自身もまた、ひとりではないのだと思えた。目には見えなくても、仏様の世界には父も母もいる。季節外れに現れたあのアゲハ蝶は、そのことを私に知らせに来てくれたのかもしれない。