深夜の酒と谷口先輩のこと
深夜になるとふと酒を飲みたくなる。
それは酔いたいからではなく自分の内的世界をしっとり感じるためだ。
人が静かな気持ちになれるのは、深夜か早朝の起き抜けだけだ。
騒がしい時間帯ではそれが果たせない。
酒にはそういうところがある。
仲間がいれば、お互いの内側の湿度を共有し合う。
言葉ではなく沈黙の質で相手を理解する。
それが人と人が知り合うという意味なのだと思う。
北大の学生だった頃、藻岩山のふもとの学生寮に暮らしていた。
近くには夕張の炭鉱町の小さな飲み屋街を思わせる場所があった。
寮の学生たちは夜な夜な飲みに行った。
鹿児島大学から再受験で北大に入学した※1谷口先輩がいつもいっていた。
「酒を飲みに行くなら午後11時過ぎだな」
当時の僕はその意味がよく分からなかった。
谷口先輩は理科系で、大阪人だった。
話がとても上手で、面白い人だった。
しかし根は努力家で、一生懸命に生きる人だった。
そして酒がとても好きだった。
あの頃の僕にはその深夜の酒の意味がまだ分からなかった。
ただ、仲間と飲みに行く時間が遅いという事実だけがあった。
しかし今、68歳になって、ようやくその意味を解するようになった。
深夜は、日中の雑音がすべて消える。
人のテンションが落ち着き、内的世界観が静かに開く。
言葉の裏側が伝わり、感情が柔らかくなる。
酒はその静けさの中でこそ、本来の働きをする。
だから僕は深夜に酒を飲みたくなる。
そのためにウーバーを使うことは非常識ではないと思っている。
ウーバーには拒否権がある。嫌なら受けなければいい。
僕は酔って追加注文することもないし、誰にも迷惑をかけていない。
ただ、深夜の静けさの中で自分の内的世界観にそっと触れたいだけだ。※2
学生寮時代の深夜の飲み屋街の記憶は今も僕の中で静かに湿度を保っている。
谷口先輩の「午後11時過ぎの酒」の意味を半世紀かけてようやく僕は理解した。
【創作ノート】
※1:
ここだけがほかの部分と比べ説明深度が過ぎる、と指摘する向きもあると思う。しかしこれは谷口先輩の人柄を示すには好適の付帯事情である。日本のほぼ真ん中に位置する大阪に住む青年が、国立大学本州最南端の鹿児島大学から本州最北端をさらに越えた北大に再入学した、という事実は、谷口先輩の人柄を示す。
余談だが、谷口先輩は深夜12時近くなると寮の廊下で大きな声を発する。「さあ飲みに行くぞ!」たちまち6、7人の寮生が群れを成す。綿入れチャンチャンコを着込んだ谷口先輩が、札幌市の中心を外れた街の雪深い路地を行く。我々が愚連隊よろしくその後に続く。都会育ちのもやしっ子だった僕にはそれはそれは魅力的な世界だった。
こういうのを当時は「バンカラ」と呼んだ。北大の売りでもある。現在はその趣きも風前の灯となっている。
※2:
ウーバーイーツのことを書いたこの部分だけが突出して説明的である。書いた本人はもう前期高齢者のジジイであるが、それでも現在を生きる一員であるという空気感を醸したかった。


