本社の人間?

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 大学卒業後、日本金属工業(現・日本製鉄)という会社に入社した。東証一部上場の製鉄会社だった。それほど大きくない中堅の電炉メーカーである。
 それでも、卒業間際になって、母校経済学部の学部長に泣きつき、押し込んでもらった会社である。何しろ僕は人事担当者からは極めて低い評価しかもらえない学生だった。
 半年間の研修を経て、相模原市の内陸工業団地にある製造所に配属となった。部署は、総務部経理課である。
 数か月が経った頃、本社から関戸さんという係長が転勤して来ることになった。そのことで、経理課内がにわかに騒がしくなった。
 関戸さんは、風評では、次の異動で本社の課長になることが決まっていた。そのための実績づくりで現場の係長を経験させよう、というのが本社人事部の心積もりであったらしい。
 関戸さんは、学習院大学の卒業で、本社の経理部に籍を置いていた。関戸さんの父親は富士銀行(当時の都市銀行の一角)の重役で、片瀬江の島にある五百坪の土地に、父子が各々戸建ての家を持ち、一緒に暮らしていた。
 関戸さんの容姿は、中肉中背とはいえやや丸ポチャで、顔は西郷隆盛によく似ていた。ネイビーブルーに金ボタンのブレザーとグレーのスラックス、そしてその頃流行したジェープレスの、赤黒の斜めストライプのネクタイを締めていた。
 メガネはしていない。大き目のふたつの瞳にはお星さまが輝いていて、親指を除く左右の四本の指には金ぴかの指輪がはまっていた。
 油臭い製造所にはどうみても相応しくない風貌である。こちらの経理課では一体どんな風に遇せばよいのか——係長以上の課員たちは皆、不安をあらわにしていた。
 そんな関戸さんだが、製鋼工場の担当となり、毎日、製鋼工場の事務所へ出向き、そこで経理資料作成のためのデータ入力を行なっていた。
 そこには強面の作業長がおり、彼は現場の長(係長級)である。その作業長に、関戸さんは、そのチャラチャラした指や、口も利かず黙々とキーボードを叩く態度について、こてんぱんに叱られたらしい。
 作業長と関戸さんは同じ係長級だが、何しろ作業長は還暦も近い製造所の猛者である。翌日から関戸さんは指輪のほぼすべてを外し出社するようになった。
 関戸さんは、大学卒業後、この会社の本社に配属になった時、父親が息子の通勤の便を考え代々木上原にマンションを購入していた。本社は新宿にあったのだが(新宿三井ビル)、それでも関戸さんは毎日のように遅刻をし課長にひどく叱られた、という話を一種のネタのように語っていた。
 実は、本社経理部には、高卒だが努力家で税理士の資格を持つ人物がいた。税理士は国家資格だから、弁護士同様、国家試験という狭き門を通過しなければならない。それでも関戸さんは、ことあるごとに、「あの人は本社の人間じゃないから……」といっていた。
 「本社の人間」とは一体どんな定義があるのだろう?
 学習院大学とか慶應義塾大学、青山学院大学を卒業した人たちは、時々、訳の分からんことをいうと僕は思っている。