学校群時代の都立富士高
東京都立富士高等学校は、東京都が施行した「学校群制度」により、東京都立西高等学校と同じ学校群に組み込まれた。これが第三学区「32群」である。学校群制度は1967年から1981年までの15年間実施された。
僕がこの都立富士高に入学したのは、制度の真っ只中であった1974年、卒業は1977年だった。
都立富士高は、第五高等女学校を前身とする伝統校で、優秀な学校だった。しかし、東大進学者数という点では都立西高には遠く及ばなかった。
一方、都立西高は都立日比谷高と並び、毎年100名以上を東大に送り出す超優秀校として知られていた。
学校群制度の下では、受験生には「西・富士どちらに進むか」の選択権はなかった。概要は非公開だったが、成績ではなく無作為に割り振る方式だったのではなかっただろうか。
西高と富士高が32群として統合されてから、両校の進学実績には大きな変化が生じた。都立西高の東大進学者数は約半分に減少する一方で、都立富士高の東大進学者数は40名以上にまで増加した。
富士高が32群に統合される以前は、東大進学者数はせいぜい10名前後だったと僕は記憶している。つまり、学校群制度は両校の進学実績に大きな影響を与えた。
担任(英語:坂下先生)によれば、僕らが卒業した1977年は、歴代の富士高の中でも、最も優秀な年だったという。同年の東大進学者数は僕の記憶によれば42名。その中でも、僕の在籍した3年G組が最も優秀だった。
欄外に、3年G組(1977年卒業・46名)の進路状況を掲載した。
学校群制度導入以前、東大合格者数トップ10に都立高校が常に7校前後入っていた。1961年の合格者数は、日比谷166名(1位)、戸山115名(2位)、西106名(3位)、新宿99名(4位)、小石川81名(5位)、両国58名(7位)、小山台41名(9位)であった。なお、教大附70名(6位)、麻布50名(8位)、湘南40名(10位)。(「Wikipedia学校群制度」より抜粋後修正)
都立富士高は、学校群制度の導入で、例外的に進学実績を伸ばした、数少ない都立高校であった。
正倉一文


◆ 都立富士高3年G組 (1977年卒業・46名) 進路一覧:大学別
<国立大学>
北海道大学 2名 (文系1・理系1)
弘前大学 1名 (医学部)
秋田大学 1名 (医学部)
東北大学 1名 (医学部)
埼玉大学 1名 (理学部)
東京大学 9名 (文Ⅰ 1・理Ⅰ 7・不明1)
東京工業大学 (現・東京科学大学) 2名
一橋大学 1名 (経済学部)
お茶の水女子大学 1名
東京水産大学 (現・東京海洋大学) 1名
東京農工大学 1名 (農学部)
電気通信大学 1名
東京学芸大学 1名
千葉大学 3名 (薬学部2・学部不明1)
横浜国立大学 1名 (工学部)
浜松医科大学 1名 (医学部)
九州工業大学 1名
(国立大学29名)
<公立大学>
和歌山県立医科大学 1名 (医学部)
九州歯科大学 1名 (歯学部)
(公立大学2名)
<私立大学>
早稲田大学 6名 (政経1・理工3・一文2)
慶應義塾大学 2名 (工学部1・法学部政治学科1)
上智大学 1名 (経済)
東京理科大学 1名
共立薬科大学 (現・慶應義塾大学薬学部) 1名
日本大学 1名 (獣医)
(私立大学12名)
<その他>
不明 3名
合計46名 (内、東大9名|医学部5名・歯学部1名・獣医学部1名・薬学部3名)


