ダメンズだった前田利常

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ダメンズだった前田利常

 加賀藩・前田家百万石の三代目藩主である前田利常としつねは、今でいうダメンズでした。
 前田家は大名家の中でもピカ一の百万石という禄高でしたから、妬まれたり、嫌がらせを受けたりすることもままあったのではないでしょうか。
 ダメンズはそのための防御策だったともいわれます。具体的には、利常は『天才バカボン』のパパにように常に鼻毛を伸ばしており、暗愚を装っていました。

(以下、Wikipedia「前田利常」からの抜粋)
 幕府の警戒をかわすためうつけを装っていたとも、「かぶき者」の気質とも言われるが、人を食ったような奇行の逸話が多い。もっとも、父・利家や従兄弟の利益のように、前田家は養子縁組で血のつながりがない者を含め、かぶき者のエピソードに事欠かない家柄でもある。
 幕府からの警戒を避けるために、故意に鼻毛を伸ばして暗愚を装ったという。家臣が見かねて手鏡を差し出すと「これは加州・能州・越中の三国を守り、お前たちを安泰に暮らさせるための鼻毛じゃぞ」と言ったと伝わる (井原西鶴『日本永代蔵』、原谷一郎『百万石物語』)。
 また、病で江戸城出仕をしばらく休んだ後、酒井忠勝に皮肉を言われ、「疝気でここが痛くてかなわぬ故」と満座の殿中で陰嚢を晒して弁解した。
(以上、Wikipedia「前田利常」からの抜粋)

 実は、僕が国鉄 (現JR) 代々木駅前にあった代々木ゼミナールの生徒だった時、前田先生という名物教師 がいて、『前田の物理』という参考書は受験生の間ではベストセラーでした。
 一方で、先生は、加賀藩・前田家百万石の分家十二代目の当主でした。
「今でもぼくの本籍は東大赤門の中にあるんだよ」
(東大の本郷キャンパスは加賀藩前田家の江戸中屋敷だった)
 時々、そんな打ち明け話を授業の合間に聞かされました。
 成城学園にご自宅があったのですが (当時の代ゼミ講師は高収入)、浪人生の分際ながら、代ゼミのクラスメートと一緒にお宅にお邪魔をしたことがありました。
 ちょうどその時、金沢市の前田家御本家から殿様が上京されていました。
 目的は、一族の財政が少々心もとなくなった故、浅草に所有している土地の一部を密かに売却するためであると仰せになりました。
 やんごとなき方々の話される内容は、僕らのような庶民には珍しいことばかり。
 金沢市の地元郵便局の局長がかつての筆頭家老の家柄で、毎年、区切りの時期には必ず、かつての重役らを集め、重鎮会議 (会食パーティ)が催されるのだとか。
 その当時から独り言の多かった僕 (非定型発達者)は、殿様から「君はいつもそんな独り言ばかり口にするのかね!?」と心配されてしまいました。
 世の中広しといえども、加賀藩・前田家百万石の殿様から直々にお見舞いのお言葉をちょうだいした庶民はそう多くはないのではないでしょうか?

※前田先生の受験参考書『前田の物理』を僕は徹底的に勉強しました。お陰様で、物理だけなら京大合格レベルまで到達しました。京大・物理の過去問がすらすら解けるようになり自分でも驚きました。