異能と世の中

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 東大の先端研で異能を持った子供たちを集め応援するというプロジェクト(協賛:日本財団)がかつてあった。そのスカラーシップ第1期生であった青年の12年後(当時)の様子などが、先日、テレビ朝日のドキュメンタリー番組で再放送と銘打って放映された。
 異能を持った子供たちは、コミュニケーション障害を抱えていることも多く、通常の学校教育には馴染めないこともままある。学校教育とは、児童・生徒を教育し、将来何者かになるべく成長を促すという役目を担う。ところが異能を持った子供たちはその学校をドロップアウトしてしまうことも少なくない。
 そんな現状に心を痛めた、東大先端研の特任教授(中邑賢龍さん)が、異能を持った子供たちを集め、サポートするというのがこのプロジェクトだった。第1期生に選ばれたのは全国数百名の中から選抜された15名。「突き抜けろ」という言葉を合言葉に、教授はときには、異能を持った子供らを挑発し、彼らのモチベーションを引き出そうと試みた。
 結局、プロジェクトは幕を下ろしてしまった。この挑戦がマスコミで報道されると、スカラーシップ自体が登竜門、つまり目的と化してしまった側面も否めない。「突き抜けろ」という合言葉も、自分の優位性というものに確信を持てない子供らにとっては、励ましというよりも重荷に感じる場面が多かったというのが現実だ。
 学校をドロップアウトした子供らに安心立命の環境をを与えるつもりが、スカラーシップ自体が再び子供らに行き場のなさという苦痛を感じさせてしまっていた。特任教授は、そういう自己矛盾に気づき、プロジェクトに幕を引いた。今回の放送では、番組からのインタビューの要請も断っている。
 番組では、絵画の異能を持った青年のその後の人生の断片を映像化している。この登竜門で世に出た青年は、業界の要請に応えるべく試行錯誤を重ねた影響で画風が変わり、仕事がまったく来なくなっていた。番組中の回想部分(当時)では、特任教授が気持ちを述べている。その内容は「他人の評価など気にせず自分の道を突き進む、という強さを持って欲しい」というものだった。
 問題は、才能の開花ばかりではないだろう。一番大切なのは、その青年個人の幸福である。特任教授は続けていう。「たとえ才能なんかなくとも、自分は自分なんだ。こんな風に生きるられることが人にとっては一番大切なことなのです」
 番組を観て僕も少し考えてみた。
 僕の父親の世代では、今でいう発達障害の人間でも、「あいつはちょっと変わっているところもあるが付き合ってみると存外いい奴だ」と、こんな風評が立てば、世の中の方から触手が伸び、彼らを取り込んでしまう。今の世の中にそんな包容力は存在しないと僕は思う。
 異能の青年たちがそういう世の中の一員であれば、彼らの異能と個性はどちらも開花する可能性があるのではないだろうか。