犬走りを行く
私は還暦を目前にして文筆業を志した男である。四十代で会社を早期退職し、つい先日、同級生らと赤いTシャツを着て第二の成人式を迎えたところだ。
三十歳のころ、私は統合失調症と思われる症状を発症した。努力の甲斐あり、現在では快方へ向かっているものの、以降は精神的な不調との闘いであった。それでも私は精いっぱいの踏ん張りで仕事を続けていた。それが四十二歳の厄年となり、無理が祟って症状が悪化し、とうとうその仕事も諦めざるを得なくなったのである。
物書きの真似事をしていて気づいたことがある。それは、上っ面の思いつきを書いていては、誰の心をも動かさないということだ。己の心をぐうっと開いて、そこに見える真実を書かなければならないのだ。思った以上に骨の折れる仕事である。
中学生のころ、私は作家と呼ばれる職業に憧れをもっていた。当時好きだった遠藤周作の本の中には、
「作家が文章をつづるのは、身を削るということである」
と書かれている。奇しくもこの私が、身を以ってそれを体験することになったのだ。
教養とか才能とか閃きとか、問われるのはそういうことかと思ってきた。だが、文筆業というのは肉体労働そのものである。一番必要なものは、気力と体力なのだ。
机に向かう生活を始めて、運動不足も手伝ってか、体力に限界を感じるようになっていた私は、衰えた力をなんとかして取り戻さなければならないと思い、焦っていた。
実は私は発達障害をもっている。五十歳を過ぎてそのことがようやく分かった。統合失調症は、その二次障害だったのである。だから私は、外界からの刺激に敏感である。人目のあるスポーツクラブなどへは行けない。そこで、通信販売で、踏み台昇降やエアロバイクなどの用具を購入し、自宅で試してみた。ところが、どれも三日坊主であった。
そんな私は、考えた末に、自宅の庭を歩くことに決めた。断っておくが、我が家は決して大豪邸などではない。思い立って最近がらくたを片づけ、家屋の周囲は、歩いて一周できるようになっていたのである。
西側はその家屋が道路際まで迫り、敷地には犬一匹が走るほどの余裕しかない。そこには防犯のために砂利が敷いてある。歩けば音がするので泥棒よけになるのだ。日本の城郭ではこんな小道のことを文字通り、犬走りと呼んでいる。
私は早春の朝一番、ザクザクと砂利を踏む音を立てながら、この小道を早歩きで行くのである。南側にある猫の額ほどの庭へ出ると、今度は小さな梅の木が紅白の小さな花々を満開に咲かせている。
文学の夜明けへ向かって今日も私は、犬走りを行く。

【作品紹介】
当時の「随筆春秋賞」には、「8枚までの部」「5枚以下の部」という区分けがあった。当該作品は後者で、「奨励賞」をいただくことができた。最終選考20本に残った作品を「入選」として、あと一歩という作品に「奨励賞」の賞状が贈られた。
ちなみに、「犬走り」と似たような表現では他に、「キャット・ウォーク」とか「猿渡り」などが存在する。犬は走り、猫は歩き、猿は渡るのである。なんだか面白い。
🏅随筆春秋賞で奨励賞を受賞



