医者の給料袋
医者の給料袋を初めて見たのは、僕が小学生の時だった。
当時父は、日本電信電話公社(現NTT)に勤める公務員(管理職)で、東五反田の池田山にある関東逓信病院(現NTT東日本関東病院)の運営を仕事として抱えていた。その頃、逓信病院は全国の主要都市に存在した(※逓信省が、後の、電々公社と郵政省)。
ある時、その父が自宅に仕事を持ち帰り、関東逓信病院の若手医師(30代)の給料袋を僕に見せてくれた。現金の入った給料袋が職員に手渡されていた時代である。
「なあ、〇〇〇」
「うん」
「これ、見てごらん。これが医者の月給だよ」
「へー」
「こっちが、お父さんのボーナスだ」
「……」
「同じくらいだろ」
父は自分の給料(ボーナス)袋も用意していた。
今思えば、父のこの行動は「お前も医者になりなさい」という、一種の教育的配慮だったのかもしれない。
電々公社は正確には準公務員だが、組織の性質は中央省庁に近かった。つまり、職員のキャリアで最も重要視されるのは学歴である。したがって、関東逓信病院の医者も旧帝大卒か旧官立卒で占められていた。
僕は50代に入ってから専門医により非定型発達者であることを指摘された。そのせいか、小学校の頃から落ち着きがなく、本を精読するという行為が最も苦手だった。
そのわりには、クラスの普通の子に比べると物知りだった。非定型発達者の特長である「物事への拘りの強さ」が功を奏していたのかもしれない。
後年、僕は獣医学科に進学したが、結局一般学部に再入学し、普通の会社員になった。
医療系の人間として僕が最も向かないと思うのは、勉強ができないということだ。嫌いなのではなく、できない。心がいつも騒がしく、落ち着いて机でページを捲るという所作が僕には縁がない。
「読書は一日二時間までと決めておかないと、何時間でも読んでしまう」と不満を漏らす人がいるが、僕にいわせれば羨ましい限りである。
医療系の人間として二番目に向かないと思うのは、人に寄り添う能力の問題だ。
僕は30代に入ってから宗教団体に関わり、人助けの事業に加わったことがある。その時に学んだのは、「人が人を救うのは、一国を救う以上に難しい」ということだった。救えないまでも、まずは寄り添うことが大切だ。しかし僕は、そんな場面でも逆に人を怒らせてしまう。
医者の給料袋だが、父の月給の3倍近い金額だったような記憶がある。
高い給料をもらうからには医者にはそれだけの責任がある、と話を収める気は毛頭ないが、偏差値だけで医療従事者になれないのは自明である。
今の時代、医者の給料が高いと安直に言うと「何を言っているんだ」と逆に怒られてしまう現実もあるようだが。



