前途晴朗なり

随筆・エッセイの王道
画像は、在りし日の青函連絡船「津軽丸」
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【作品紹介】

直近の「文芸思潮」エッセイ賞で、佳作をいただいた作品です。大学受験の時の様子を綴っています。この前年、「絶望から希望へ」で奨励賞(銅メダル)を取りましたが、今回の作品ではその上を目指していました。
作品は、時間をかけて煮詰めているのですが、結局、文学賞は<コンペティション>です。
文芸思潮の結果が開示されると、今世界の関心が集まっている「ガザ」地区の和平に関して綴られた作品が<最優秀賞>(金メダル)に輝いていました。
次点以降の作品にも、史実などを反映した、ジャーナリスティックな側面の強い作品が多く並んでいます。
文芸思潮の編集長(トップ)である五十嵐 勉先生は、新人賞レベルの小説家であるとともに、その体内には<ジャーナリストの血液>が流れています。
若い頃、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーなど東南アジアの紛争地域に身を置き、現地の<朝日新聞記者>に、ジャーナリストのイロハを伝授されたのだとか。
僕としては、前回作品「絶望から希望へ」(銅メダル)を越える作品を書いたつもりでしたが、今回のコンペティションでは、逆に順位を落とす結果となってしまいました。

文芸思潮に「評価コメント」(有料)をお願いすると、審査委員のチェックやメモ書きなども追記された、応募原稿の写しが添えられて届きます。それによると、1ページの<「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる」受験生の僕は、高村光太郎の詩の一節を思い出していた。>と、2ページの、<——僕の場合であるが、>は、不要ではないかと示唆する印が付けられていました。その通りかもしれません。

青函連絡船の煙突に赤い文字が見えます。<JNR>と書かれています。Japanese National Railways:日本国有鉄道、つまり<国鉄>の意味です。国鉄が現在の<JR>となったのは、僕らの世代では、社会人になった後でした。

青函連絡船に乗る前には必ず「乗船名簿」に住所・姓名などの個人情報の記入を求められました。沈没時には必ず必要となってくるからでしょう。青森‐函館間の所要時間は3時間50分だったと思います。アバウト4時間。カーペットを敷いたところにゴロっと横になれるスペースも用意されていましたが、4000円を追加で払うと、まるで特急列車のグリーン席のような、赤い椅子に腰かけることができました。もちろん座席はリクライニングです。館内にはお食事処も完備していて、「海峡ラーメン」という海鮮(エビとかホタテだったかな?)が麺の上に乗った塩ラーメンがお店の一押しでした。札幌を目指す僕にとっては函館についても札幌はまだ遠い存在でした。列車で、6時間以上かかったのではなかったかと思います。ちなみに、北海道では、「電車」といういい方はほとんどしません。現在でも、北海道の鉄道の電化区間は2割にも満たないのではなかったかと思います。ではなんというか。僕が札幌で北大の学生だったおよそ40年前、小樽から札幌に通勤している学生や社会人もいましたが、その状態は通常「汽車通きしゃつう」と呼ばれていました。「汽車通学」「汽車通勤」の意味です。あるいは鉄道は「列車」と呼ばれていました。「電車」といった途端に「あんた、内地の人だべ」といわれたものでした。

🏅「文芸思潮」エッセイ賞で佳作を受賞 賞状


小倉 一純