文化学院とセツ・モードセミナー
経緯はさておき、今回は、イラストレーター・画家という範疇の人物をWikipediaに立項した。具体的には、書籍の「装画」と「挿絵」を数多く手がける作家だ。装画とは、本文中の挿絵以外のすべての絵を指していう言葉である。表紙やカバーのイラストをはじめ口絵などもそれに該当する。挿絵が読者の理解を促すものである一方、装画はその本の訴求力を外部にアピールするものである。イメージや購買意欲に直結している。
作家の学歴が興味深い。「文化学院」「セツ・モードセミナー」とある。どちらも既に姿を消した学校だが、昭和世代なら一度は聞いたことのある名前ではないだろうか。2校とも自由な校風で知られ、特に文化学院の建物は今もその一部が、当時の姿のまま保存されている。お茶の水の、アテネフランセの近くだ。新宿区舟町にあった、パリのアパルトメントを思わせる、セツ・モードセミナーの建物は、既に姿を消している。
創設者は、長沢節。「ファッションイラストレーター」という職業分野の産みの親である。実際の絵を見れば誰でも「あッこれか」と思い当たる。長沢は、藝大をはじめとする大きな美術団体にダメもとで喰らい付く「アウトサイダー」的なスタンスを生涯貫き通した。
当局に抵抗する全学連、資本化に対抗する労働者、日本医師会に反対する自由主義ドクター、名主の家に生まれたプロレタリア作家、そんな構図が僕の頭を過る。僕自身は都立富士高という進学校の出身だ。東大をはじめとする難関校に進学するのがこの世の中で一番正しいことだと信じた10代を送った。巷では「東大病」と揶揄された。そんな僕らとは対極の生き方を貫いたのが「文化学院」や「セツモードセミナー」の彼らである。
今回、立項したのは、「○○○」という人物だ。その記事を作成中に、ネットに、セツ・モードセミナーの卒業生らが拵えたHPを見つけた。多くの名前が掲載されているのだが、どの名前の前にも「イラストレーター」と添え書きされている。それがなんとも誇らしい感じがして、僕はある種の衝撃を覚えた——。長沢節という人の精神がそこに宿っているのだろう。
実は、その長沢節も、文化学院の出身である。文化学院とセツ・モードセミナー。彼らにとってそこは僕らにとっての東大以上の存在であっただろうことは想像に難くない。
小倉 一純



