宗教と芸術、なーんてなっ

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宗教と芸術、なーんてなっ

 僕が世界救世教に入ったのは、まず第一に、信仰を勧めに来た教師と馬が合ったからだ。もう30年以上も前の話である。先生は、僕より3歳年上でアグネス・ラムと同じ生年だ。僕はアグネス・ラムの大ファンだった。
 端から宗教のことには余り興味がなかった。それよりも、人間世界のいざこざとか幸福の原理みたいなものに関心が強かった。岡田茂吉という教祖はそれを実に上手く説明していた。
 『御教え集』という本がある。ありていにいえばエッセイ集であるが、関連項目を体系的に並べ1冊の教本としている。恐らく、教祖の岡田茂吉は性格的にいって、長編をコツコツ書き溜めるタイプではなかったのだろう。思いついた時に筆をとり、溜まったところで従者が仕訳をし1冊の書籍とする。
 才能も格式も遥かに上だろうが、岡田茂吉は僕に似ていると思った。1話読み切りなので、御教えではなく、読み物として、とても面白い。僕は今、随筆春秋の会員だが、これはエッセイの教本になると思う。
 予期せぬ副産物だったが、岡田茂吉は芸術に対して造詣が深い。特に日本美術に関してはプロ並みである。そもそも、岡田茂吉自身のプロフィールが、東京美術学校(現・東京芸術大学)の卒業とある。卒業後は蒔絵師となるべく研鑽を積んでいたが、刃物で指を深く切り、神経をやられ、道を捨てた。京都にある大本教おおもときょう出口王仁三郎でぐちおにさぶろうの弟子となりそこで修行を積み、宗教家となった。出口も芸術通であった。そんな背景もあり熱海の救世教本部に併設のMOA美術館はかなりのレベルである。数年前、手間をかけて凝ったリニューアルも行った。
 岡田茂吉はピカソを評価しない。時間と空間がバラバラで大学教授や学芸員の説明をひとしきり聞かなければ良さの分からぬ絵は絵ではないと断じる。僕はそういう下町風情の口の悪さがとても気にいっている。代わりに、横山大観を強力に推している。絵の素人が見てもすぐに分かる。絵はそれでなくてはならない、と断言する。
 余談だが、大観は無類の酒好きだった。晩年は、アルコール中毒の症状を呈していたと思われる節がある。横山大観の絵を鑑賞するならそれ以前のものがいい。
 余談はまだ続く。病床の大観はいよいよ衰弱し水さえ飲まなくなっていた。お付きの看病人が、もう最期だからと、大観愛飲の日本酒を脱脂綿に吸わせ、唇に押し当てたところ、旨そうにチューチュー飲んだのだとか。それで大観は少し延命できたらしい。それほど酒が好きだったという逸話であるが、僕も日本酒党なので、この話が大好きだ。
 「大観」という酒があり、よく日本酒ファンが、「大観先生が愛した酒」といって買っていくようだが、その酒は違う。酒蔵の親父が勝手にそう名付けただけである。
 余談が長くなってしまったが、僕が入信した当時、世界救世教は「新生」「再建」「護持」と3つの派閥に割れ、喧嘩していた。その闘争には反社まで関わっていた。これは噂話や週刊誌ネタではなく、僕自身体験したことだ。僕が所属していたのは「新生」だが、MOA美術館は「再建」の所有物となっていた。なお「護持」は少数派。
 最近になって、もうあの争いは収まったのかと、ネットを開いてみると、今度はなんと、岡田茂吉のひ孫で岡田陽一という跡取りが、キリスト教との融合を訴え、救世教から転出し、別派を拵えてしまっていた。僕の所属した「新生」でも主流派が名古屋教会から鎌倉教会へと入れ替わり、僕が当時塾生となっていた、世界救世教串原センター「耕福塾」はただの箱物と化していた。センターは残っているがもはや塾ではなくなっている。
 まったく空いた口が塞がらない。今は、僕はまったく宗教活動を行なっていない。

 小倉 一純

※司馬遼太郎『坂の上の雲』の主人公の一人であり、夏目漱石の親友でもあった海軍参謀・秋山真之あきやまさねゆきは、晩年に大本教の出口王仁三郎に師事し、正式に弟子となっている。日本海海戦の作戦を立案し勝利に導いた秋山だったが、戦争の過程で多くの犠牲を目の当たりにし、さらには戦艦三笠の後部爆薬庫が管理不備により爆発し多数の死傷者を出すなど、痛ましい出来事が続いた。そうした経験を通じて秋山は次第に宗教に関心を寄せるようになり、出口の思想に深く共鳴するようになった。

横山大観(Wikipediaより)