天邪鬼

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CG:小倉一純

天邪鬼

 高校時代の同級生にハットラがいる。ハットラは女の子で浪人時代、代ゼミでも顔を合わせたことがあった。彼女は慶應文系を出て商社の丸紅に就職した。思った以上に優秀だ。その配属先に妻を亡くした課長がいた。40少し手前の年齢だ。ハットラは間もなくその課長の中学生の息子の母親になった。
 丸紅にも古い体質が残っていて、結婚退職しない女性社員には風当りの強いところがあった。ハットラは次から次へと丸紅の関連会社に出向を命じられた。そんな名前の会社があるのか本当のところは知らないが、例えば、丸紅フーズや丸紅ファッションとか。
 新しい会社へ出向になるたびに、資格がないとできない仕事に就かされた、という。ハットラはそのたびに猛勉強をしてその資格を取得した。仕舞いにはハットラより若い社員しかいないスタートアップのような会社へ出向になり、そこでもハットラはめげず、若者たちに馴染み、やがて親分的存在となった。
 一方、同じ丸紅で仕事をしていた元上司の夫が50代前半で筋委縮性側索硬化症きんいしゅくせいそくさくこうかしょうに罹ってしまった。ALSである。体の筋肉の力が徐々に失われ、呼吸もままならなくなると、人工呼吸器を装着しなければならなくなる。そして、やがて死に至る。
 そんな時、ハットラの高齢の母親も倒れてしまった。石神井にあるハットラの自宅1階リビングに介護ベッド2台を入れ、ハットラは丸紅と決別し介護に専念した。だが思った。「わたしが2人も面倒を看られるのだろうか」
 1年後、彼女の母親は静かに息を引き取った。ハットラが述懐している。「わたしのお母さんはね、わたしのこと思って、1年で逝ってくれたの」
 その後、10年近くハットラはご主人の面倒を看ながら、今度は、在宅でも仕事ができるように中小企業診断士の資格をとった。顧客の中にはまだ若い医師もいるらしく「あんた、しっかりしなさいよ」と叱咤する場面もあった。ハットラの親分肌、炸裂である。
 今から数年前、そのご主人も天国に召された。そんなハットラの家の1階リビングは思った以上に広く、最近ではそこでしばしば同窓会が開かれた。東京都立富士高等学校3年G組(第29期卒業)の仲間が連れ合いや子供も同伴でハットラの家に集まったのだ。
 東大から総合商社に勤めた大和田が美人の奥さんを同伴で、その同窓会に参加した。どういう経緯かしらないがホロ酔い加減になったところで、社交ダンスが始まった。大和田は奥さんとではなく、ハットラと向き合ってステップを踏み始めた。
 その時、大和田の背後に回した手がハットラのお尻の肉をつまんだ。後で回って来たLINEにハットラが書いている。「大和田くん、お尻さわるんだもの!」最近、旧3年G組は和やかなムードに包まれている。
 一方、僕は、40代に入るまでは一応会社員を続けていたもののメンタルの不調で30代から50代前半を不意にしてしまったから、還暦を過ぎた今になって四当五落よんとうごらくの生活を送っている。作家を目指し受験生にも負けない勢いで勉強をしているのだ。
 僕という人間は昔から人と同じことをするのが嫌いだった。それにしてもここに来てさらにその天邪鬼あまのじゃくも極まれりといったところである。

 小倉 一純

 ※四当五落:昭和世代受験生の合言葉。1日4時間睡眠なら一流大学に合格できるが5時間では落ちる。