自分の金ぐらい自分で稼げ、馬鹿者めが!
これまで自分にまったく自信が持てなかったのは、サラリーマンとして十分な金を稼ぎ、大切な家族を養うという経験ができなかったからだと思う。
30歳を境にメンタルの調子が崩れ、それを押し殺しての勤務だった。会社もその様子を見ていたのだろう。昇進も昇給も、考慮されることはなかった。
ただ、事務処理(仕事)だけは人並み以上にこなしていた。42歳まで会社員を続けたが、手取り年収は400万円にやっと届く程度。勤務先は東証一部上場の製造業。
もし40歳で課長になっていれば、年収は800万〜1000万円に達していたはずだ。だが、僕は平社員に毛が生えた程度の等級で、そんな金額には到底届かなかった。※
「給料が安い」と上司に泣き言をいったことがある。返ってきた言葉は、「そんなに金が欲しいか?!」だった。正論だ。昭和世代の僕には、その正論に強く反発することができなかった。
40代に入ると両親も70代。親が蓄えた金は、親のために取っておかなければならない。それでも、多摩丘陵に父が建てた親子同居の実家は、大規模な修繕が必要となっていた。住宅メーカーに見積もりを依頼すると、費用はざっと1000万円以上。
僕は思った。会社で人様から金をいただこうなどという考えが、そもそも甘いのだ。
──自分の金ぐらい自分で稼げ、馬鹿者めが!
実家が口座を持つ銀行の社員通用口をくぐり、担当者から金融取引の学習資料をもらった。社員研修用のものだ。レクチャーも受けた。その後、なけなしの数百万円を元手に、株式や投資信託を購入。担当者の助言を受けながら、投資を続けた。5年で、数百万円が数千万円になった。
「聞くは一時の恥、知らずは一生の恥」というが、僕は「聞くのも一生の恥」だと思った。かっこ悪いのなんの。それでも、自分の力で金を稼げるようになりたい──その一念で金融取引を習得した。
銀行の担当者は、定年退職後の再雇用組。元は有名保険会社の支店長クラスだった。とても親身に手ほどきをしてくれた。今ではその銀行も証券会社も卒業し、コンサルを付けて、相対で社債などを購入している。
社債は、その会社が潰れなければ、規定通りの金利が支払われる。ただし、現在の日本ではその金利は税込で4%未満。それでも大金を投入すれば、年間数百万円にはなる。年金もある。十分食べていける。僕には妻子も借金もない。
現在の勤務先では、一時、寝食を忘れるほど働いた。社会貢献団体だから給料は出ない。だが、それが気に入っている。仮に給料が支給されれば、他人と比較して「安い!」と文句をいいたくなるかもしれない。それでは、かつての会社員生活の蒸し返しだ。
変な話だが、僕の場合「学歴」などまったく役に立たなかった。結婚も出世も昇給も無縁の人生だった。辺りを見渡すと、訳あり人生を送らなければならなくなった人というのは、思った以上にいるものだ。特に純文学界隈。皆、書くことによってそんな自分の無念を昇華している!!
※いくら説明しても納得しない知人がいますが、東証一部上場の製造業を3社を経験しましたがどれも正社員採用。いわゆる幹部候補生でした。
小倉 一純
