自公連立破断に思う
高市氏が、公明党に一方的に連立を切られたとTV画面の中で憤慨したように語った瞬間、僕はこの人、ちょっと無神経だと苛立ちました。
吉田茂のような腹芸は無理だとしても、僕は常々、難局を乗り切るにはこの腹芸が必要だと思っています。たとえ嘘でも、「20年以上支えてくださりありがとうございました。金と権力の問題ですが、ご期待に応えられず申し訳ありませんでした」とまずは先方に御礼と反省を述べるべきでした。それが人としての道だと思います。
公明党は全国に無差別に議員を立候補させるのではなく、首都圏などに限られた優秀な議員を擁立しています。与党に協力するにしても、創価学会という強力な支持母体があるため、議員一人ひとりの力が非常に大きい。これが公明党のやり方だそうです。
今回、自民党はそういう強固なサポート体制も失ってしまいました。新任の小林政調会長は当日のテレビで「自公連立は解消されたが、公明党との友愛はすぐに消えるわけではない。大丈夫だ」と述べましたが、自民党にとって公明党がそれほど大切な存在なら、高市氏はそれをもっと大切に扱うべきでした。
田中角栄※の金権政治を暴いたのはジャーナリストの立花隆でした。後の後藤田官房長官(カミソリ後藤田)は自民党員に対し、金と権力という悪弊を徹底的に断たなければ自民党は崩壊すると説き、党員を厳しく教育しました(通称・後藤田学校)。
岸田元総理の一代前の自民党員まではその後藤田学校の教育を受けていましたが、岸田以降はその教育をリアルタイムで経験していません。だから、後藤田学校当時のような罪悪感や、金と権力の構図がいかに自民党や政治を腐敗させるかに関して、強い自覚がありません。
実際、今回の組閣人事でも裏金で大きな問題となった萩生田氏を入閣させています(高市氏が総理になれたのは萩生田氏の根回しもあったからなのでしょう)。高市氏は「脛に傷持つ者も約1名おりますが」などと冗談めかして言ったと伝える記事もありました。細かい言い回しは分かりませんが、大筋では、誤報ではないようです。
私立高校授業料無償化の計画にしても、予定はあるものの、詳細はまだ煮詰まっていません。このままでは先送りされるのではないでしょうか。一体いつになったら実現するのか、番組出演の元記者も呆れ顔でした。
自民党は本当に、もう、「あかん党」になってしまいました!
小倉 一純
※僕は特段、どの政党を応援しているということはありません。自公破断のニュースが流れた日に思ったことを、そのままエッセイに綴ってみました。
※田中角栄は、ご存じのとおり、日本の「元祖・金権政治家」として知られています。「自称・小学校卒」の学歴で首相にまで上り詰めたことで注目を集めましたが、実際には中央工学校土木科を卒業しています。
昭和25年(1950年)に始まった朝鮮戦争の際、田中は朝鮮半島に赴いたという記録はありませんが、戦争特需によって建設業を中心に莫大な利益を得たとされています。その資金を元手に政界での影響力を強め、後に「実弾(現金)」と呼ばれる資金力を駆使して首相の座に漕ぎつけたと語られています。自民党総裁選の前日には、自らに投票する予定の党員を都内の一流ホテルに「缶詰め」にし、他のホテルに滞在していたライバル候補支持の議員に対しては、深夜に一千万円単位の現金をスーツケースなどに詰めて届け(大量なのでトラックで運んだとも)、寝返らせたという逸話も残っています。
このような「金脈と人脈」の構造を暴いたのが、当時まだ駆け出しだったジャーナリスト・立花隆(東大卒)でした。立花は、登記簿や政治資金収支報告書などの公開資料を徹底的に調査し、合法的な手法で田中の資産形成と人脈構造を明らかにしました。
この調査報道は1974年『文藝春秋』11月号に掲載され、田中内閣退陣の引き金となりました。その後、立花隆は「知の巨人」と称され、日本の調査報道の先駆者として広く尊敬される存在となりました。
以上は、NHKの歴史番組で勉強したことを元に綴りました。僕は立花隆のファンです。ただし立花隆ほど勉強したことはありません。
