イジメと夜叉 遡ってその2
練馬区に中野区から引っ越したのは小学校5年生の3学期だった。
僕の父は、日本電信電話公社(現NTT)の勤め人で、中野ではその官舎である団地に母も含め家族3人で暮していた。それが、練馬のキャベツ畑の傍らに父が土地を求め、そこに一戸建てを建設した。
一戸建ては当時は「庶民の夢」で、「サラリーマンの男子一生の仕事」とまでいわれていた。50坪ほどの敷地に32坪の2階建ての青い瓦屋根の家が完成した。
その自宅から北へ向かってもとは農道と思しき狭い道を10分も歩くと、練馬区立練馬小学校があった。そこが僕の新しい学校である。
同じ区立小学校といっても、中野区と練馬区とでは大きな違いがあった。その一番が給食の時間である。
中野の小学校では、各自にアルミニウムの食器とステンレスの先割れスプーンが提供され、それらを載せるアルミニウムのトレイも用意されていた。そればかりか、トレイの下に敷く衛生的なビニールマットまで公費で賄われていた。
練馬の小学校では、各自にクリーム色の樹脂製の食器と、先割れスプーンまでは提供されていたが、それ以上のものは何もなかった。給食の時間は、パンと主菜と牛乳と少なくとも3回は、列に並ばなければならなかった。
同じ東京とはいえ、練馬はなんと田舎なのだろうと、僕はカルチャーショックに陥った。
ただ、練馬が中野と違うのは、練馬が圧倒的に自然が豊かであるということだった。今から50年以上も前の話である。自宅近くには大きなクヌギの木が何本も農家の庭先にそそりたち、早朝その根元を掘ると、真っ黒なクワガタ虫が採れた。クワガタといえば、中野で暮していた頃は、デパートの屋上で買うものとばかり思っていた。
農家の天井では、青大将が飼われていた。ネズミを捕る目的である。父が呼ばれて行った近くの親しくなった農家で麻雀の最中に大きなヘビが雀卓の上に落ちてきた。田舎育ちの父がそれを追っ払おうとすると、家主が、「かわいそうなことするな。これ、ウチで飼っているヘビなんだよッ」といったそうである。
練馬では何もかもが中野と勝手が違った。後年僕は50歳を過ぎて発達障害が判明する。地元の専門医に指摘された。そんな僕だったから、練馬に越してからも、遠慮というものはまったくなく、中野の時と同じように、自由奔放な小学生として毎日を送っていたのだろうと思う。そういう僕の様子が目障りだったのか、気が付くと、イジメの標的にされていた。
ある午後、僕は同じ班の総勢7~8人で、放課後の教室を清掃していた。とりあえず机と椅子はすべて黒板のある前方に寄せ、後ろには教室の床が、いつもと違う広がりを見せていた。すると、掃除の手を休めこちらを睨んでいた河島が他の2人の男子を従えて僕の前に立ちはだかった。
「これからお前をお子様リンチにしてやる!」
「……?」
「お前が生意気だからだよッ」
河島は、ポケットからカッターを取り出し、カチカチと音をさせ、刃を伸ばした。3階の教室の窓からは、午後の傾きかけた日が差し込み、その刃先がキラッと鈍い光りを帯びた。
パッと振り降ろされたカッターを持つ河島の右手首を僕の右手がギュッとつかんだ。そして右方向に絞れるだけ絞り上げた。彼は痛みに仰け反りながら体を正反対によじり、ぽとりとカッターを落とした。
すかさず僕は河島の右手の小指を力いっぱい捻り上げた。激痛のあまりそこにうずくまってしまい彼は声も出せなくなっていた。
その時、僕は、夜叉の形相だったに違いない。
その後、何日かして、そのことがクラスで大問題になった。河島の両親が、河島が小指を骨折したからといって、担任の女教師に治療費の請求書を突き付けたのだという。放課後の学級会で飯島(女教師の名前)がそういった。そこで彼女はこんな例え話をした。
「この列の先頭に座っている、糸島君を見てご覧なさい。糸島君も転校生だけど、最初は皆に遠慮して、とても大人しかったものね!」
「小倉君も、転校生なら、糸島君のように、大人しく遠慮するのが常識なのよ」
これが飯島の裁きであった。トリガーの引き金がカチンと音を発するのを僕は聞いた。こんな女教師を決して許してはならない!
その1年後、僕は、練馬小学校を卒業して、同じ区立の練馬中学校に上がった。中学校は、我家からは小学校とは正反対の南に位置し、僕はキャベツ畑の横の、やはりこれももとは農道のそう広くない道を5分歩いて、中学校に通学していた。
そんなある日、放課後の空が少し赤らんだ頃、軟式テニスのクラブ活動を終えた僕はあの飯島がそのキャベツ畑の道を僕とは反対の方向に向かって歩いて来るのに出くわした。彼女はさらに南にある西武池袋線の駅を目指しているのだろう。中村橋駅が最寄り駅だった。僕は黙って通り過ぎようとする飯島に向かっていった。
「転校生のくせに大人しくしなかったのが悪かったとあんたいったよな!」
「……」
「あれな、刃物沙汰の事件だったんだぜッ。知らなかっただろ」
「……」
突然、予期せぬ抗議に遭った飯島はかなり戸惑った様子だった。その後も僕は飯島とそこですれ違うたびに悪態をついてやった。
何度目かのすれ違いの末、ある日彼女がいった。
「警察を呼ぼうと思っているのよ。この間から」
「……」
「あなた、頭おかしいんじゃないッ!」
これが、彼女の僕に対する最終答弁だった。彼女は帰宅ルートを変え、その後、僕らは2度と会うことがなかった。
小倉 一純
【あとがき】
転校生である僕に対するイジメの片棒をこともあろうにクラス担任がそれを担いでしまったという話である。当時はイジメに関しても、発達障害についても、世間の認知度はゼロに近かったと思う。第一、そういう言葉自体が存在しなかった。クラス担任である女性教師は、当時はどこにでもいた、依怙贔屓の好きな中年女性だった。もっとも僕が誰かを傷つける側に立っていたことも少なからずあるはずである。僕など、叩けばほこりの出る、立派というにはほど遠い人間だ。とはいうものの、それとこれとが帳消しとはいかないのが心の問題である。
小倉 一純
