当事者感がない

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AI Gemini 生成

当事者感がない

 自己評価が低い、とメンタルクリニックで指摘されたことがある。だが、それは少し違う。僕が自分で思うには、「当事者感がない」というのが一番ピッタリするいい方である。
 40年も以前の話である。大学を卒業して東京は練馬の実家で自宅から、近場のディーラーへ国産車を買いに出かけた。開口一番、その営業マンがいった。
「お兄さん、クルマは高いよ!」
 結局、入社した製鉄会社の労働組合にローンを申し込み、ディーラーには一括で代金を支払う形でようやく新車購入に漕ぎつけた。
 入社2年ほどしてその製鉄会社の人事担当が交代した。僕の履歴を再調査したという。当時はまだ個人情報保護法は存在せず、新入社員を採用する際、企業は興信所など信用調査会社に採用する学生の素行調査を依頼した。 
 興信所というとなんだかうさん臭い印象を持つ向きもあるかもしれない。例えばあの「帝国データバンク」という大企業も興信所である。「東京商工リサーチ」などもよく耳にする同業の社名である。
 僕を採用した人事担当者は僕の母校北大まで足を運んでいる。僕が間違いなくその卒業生であることを確認したはずである。新しい人事担当者は、僕の会社内での様子を見聞きして、「アイツが北大?」と訝しく思ったそうだ。
 学歴詐称なんて実際にあるの? と疑問を持つ人もいるだろう。例えば、テンプスタッフの募集などでは思った以上にそういう案件も多い。東京農工大もそう遠くない調布市の人材派遣の会社で事務のアルバイトをしたことがあった。経歴欄に、よく、
「国立東京農業工業大学」 
 と書いて来る人がいた。こんな応募が10件や20件はあったと記憶している。東京農工大が正式名称ではないのかと疑問に思い、電話で直接確かめてみた。
「うちはむかしから東京農工大学が正式名称です」
 国立大学の事務担当者は少し怒っていた。
 応募するとコメントを返送してくれる文学賞が以前あった。そこに書かれていた。
「経歴ぐらいまじめに書きましょう」
 小学生時代、ピアノで日本一となり、大学は獣医学部を経て(中退)北大を卒業。1部上場企業ばかり3社に勤務し現在に至る。こんな内容の履歴を応募用紙の余白に縦書きで綴っていた。そこまでいわれては、いい訳のしようがないと思った。だが、これが事実なのである。
 僕の場合、一事が万事、この調子である。僕は、自分の才能や技能に、内心では 自信をもっている部分もある。だが、傍から見ると、そういう能力を持った人間にはまったく見えないそうである。
 こういう状態を僕は「温度感が伝わらない」と言語化するのが説得力があると思っている。
 つまり、僕には、当事者感がなく、よって周囲に、その温度感も伝わらない。
 これが、僕が、嫁がもらえず、出世もせず、従って、年齢相応の収入も稼げず、鳴かず飛ばずで、60年以上を過ごして来た、核心であると考えている。
 そんなわけだから、変な話ではあるが、収入は、勤務する会社を当てにはできなかった。他の方法で稼ぐしかなかったのである。
 かつて角川映画で『人間の証明』という映画があったが、僕の場合は、自分で自分を証明しなければならない。まったくご苦労なことであると我ながら思う。
 僕はいい歳なのだが現在、作家を目指して奮闘中である。作家の場合、この当事者感こそ一番重要なものではないだろうか。当事者感なくしては他人様を振り向かせる物語など紡げるはずもない。
 書いて書いて書きまくることがその唯一の解決策ではないかと僕は思っている。

小倉 一純