門井慶喜『札幌誕生』河出書房新社、2025/4/30初版発行 書評
門井慶喜『札幌誕生』河出書房新社 、2025/4/30初版発行 を読んだ。この1年間、札幌に本社を構える、北海道新聞社の新聞紙面に連載されていた作品だ。第1章には、島 義勇の伝記が書かれている。彼は、旧佐賀藩の優秀な武士で、明治2年(1869年)に開拓判官として北海道に渡り、今の札幌の街の原型をつくった人物である。彼は、人間関係は不得意だが、計画を着々と物にする実行力がある。
札幌市が現在、碁盤の目のように通りが交差しているのは、この島 義勇の街づくりを基盤としているからだ。札幌のススキ野原に黒板塀で囲まれた慰安所、つまり官許の遊郭を計画したものまた彼である。これが現在のススキノの街の謂れである。小樽方面の山地から、何人もの人夫を使い、木を伐り出して札幌に運び、大勢の大工を働かせて、札幌の街の基礎を形づくった。ああ、こうやって、北海道という未開の大地に初めて町らしきものが出来たのだな、と感動しながら読んだ。だが、第2章以降ではこの興奮を感じなかった。
第2章には、札幌農学校の第2期生であった、内村鑑三や新渡戸稲造らが登場する。彼らが織りなす青春群像は、直接、札幌という街の誕生と関わるものではないと僕は感じた。確かに札幌という地で、キリスト教を中心に据えた、文化の華が咲いたわけであるから、それも街の創造といえばそうなのだが。僕としては、道路とか建物とか、そういう目に見える形での札幌誕生という物語を読みたかったと思った。
その内村鑑三であるが、作者は彼の性格を、内気で従順としている。それが少し僕の想いとは違うなと思った。彼の子息だったか身内が著した文献によると、内村は瞬間湯沸かし器であったという。悪い事には、悪いと猛烈に腹を立て、いいと思ったことには、しつこいぐらい賛辞を贈った。そういう極端な性格が災いしたのだろうか、内村鑑三は3度結婚している。内村といえば、プロテスタントのキリスト教徒で、「無教会主義」の提唱者である。
余談だが、同じ第2期生の新渡戸稲造も、物事にはかなり強い拘りを持つ人物で、自分が正義と信じたことは、周囲の事情を何も忖度せずにそれに立ち向かう。お陰で人生の中で3度も重度の精神病に陥っている。そんな病床で著したのが、かの有名な『武士道』である。日本には欧米のキリスト教のように、人間の精神の支柱となるものは何かないのですか? と西洋人に問われ、焦った彼は、それなら「武士道」がそれに当たると思い付き、アメリカで年単位の心の療養を余儀なくされていた体で、口述筆記により、『武士道』を完成し上梓した。当初は英語で書かれていて、後年日本に逆輸入され、何人もの訳者によって日本語に翻訳されている。
札幌農学校の第2期生らの活躍を垣間見るとき、大方の人物が皆、思い込みが強く、トラブルに巻き込まれることも是とする人間ばかりであった、と僕は思う。ちなみに現在の北海道大学は、大規模総合大学であるが、その前身である札幌農学校の第2期生は、わずか十数名であったと記憶している。
そんな内村鑑三を作者はなぜ、内気で従順である、と書いたのだろうか。これは小説ですと反論されれば、こちらは何も文句のいいようもないのだが。
第3章「バチラー八重子」、第4章「有島武郎」、第5章「岡崎文吉」(最終章)と、札幌を代表する様々な主人公が時系列で登場する様式でまとめられている。1編の作品というより、オムニバス形式の作品集という印象が残った。
小倉 一純