西千葉
吐く息もまだ白い3月初旬の朝早く、僕は総武線快速に乗っていた。つり革につかまって車窓の景色を眺めようとしていたが、ちっとも見えない。車内の水蒸気でガラスが曇っていたからだ。そのうち電車は国鉄千葉駅に着いた。めんどくせえなぁ……、一旦降りてまたもと来た方へ戻らなければならない。目的地は一駅手前の駅だった。西千葉駅に快速は止まらないのだ。
当日は千葉大学の入学試験だった。その千葉大の最寄り駅が西千葉だ。千葉大というのはまったく中途半端なところにあるものだ、と心の中でぶつくさ文句を言いながら、僕は試験会場に向かった。
午後になって2日目の試験が終わった。筆記用具を片づけて席を立ち、校舎をつなぐ屋根つきの渡り廊下を歩いていると、教官とおぼしき人物に声をかけられた。
「きみ、きみっ、建築学科の試験はあともう1科目あるよ」
「あっ、はい。そうでした」
「歴史の試験を受けてから帰らなくちゃ」
「わかりました」
確信犯だった。どうせ受からないことは端から分かっていたから、最後の科目をすっぽかして、僕は家へ帰ろうとしていたのだ。
建築といえば、寺院、教会、城など古い構築物に関しても大いに学ぶ必要がある。だから同じ工学部でも建築学科だけは、受験に歴史という科目が追加されていたのだろう。いまになってそんなことを思う。
試験も終わって今度こそ家路につこうと西千葉の広いキャンパスを歩いていると、若い女性たちがはしゃいでいる様子が目に入った。どうも教育学部の女子学生らしい。しまった、目が合った。
「キミ、受験だったの」
「う、うん。あっ、はい」
「受かるといいネ!」
「……」
皆、こちらを向いて微笑んでいる。俯いてそのまま通り過ぎようとした僕に、彼女たちの優しさが身に沁みた。学校の先生になろうという人たちはやっぱり違うのだろう、と僕は思った。
合格発表は熱心に見なかった。落ちているに決まっていたから。何しろ高校の3年間はろくに勉強をしていなかったのだ。
千葉大の建築学科には、入学してからは「デッサン」という科目があった。建築は構造や設備だけではなく、意匠つまりデザインという部分がとても重要な分野だ。
僕はそのデッサンというものにも自信がなかった。自分には芸術的センスなどまったくないと思っていたからだ。
勉強はしていないし、入学できたとしてもついていけそうにない。そんなウルトラC級の消極的な気持ちで受験に臨んでいたのだ。
桜が咲く頃、僕は晴れて代々木にある大手予備校の生徒となっていた。その後のことはまた別の機会に書こうと思う。が、次の年にも進路が定まらなかったことだけは、先に言っておこう。まだまだ泥沼は続く。
それにしてもアホな青年だった。努力もしないくせに、頭の中には無意識のうちに丹下健三や黒川紀章がいた。2人とも日本建築界の超有名人だ。が、歴史に残る作品をつくることばかりが建築の仕事ではない。町内にある古い戸建てをリフォームし、新しい収納庫をこしらえて、そこに暮らす高齢者に喜んでもらうことだって、立派な、建築士の仕事だ。若輩者の僕はそんなことにはまったく気がついていなかった。
そうはいうものの建築に興味があり、建築が好きだという気持ちだけは本物だったようだ。僕は結局、只のサラリーマンとなってしまったが、その後も目に映るめぼしい構築物はもれなく僕の関心を引いた。戸建て住宅にも興味がある。とくに工業化住宅というのが好きだ。合理性を追求したデザインに心惹かれる。伝統的建築とはまた違った意味で面白いのだ。
そんな僕が、今回拙宅の洗面所をリフォームした。目玉は収納庫だ。そんなに立派なものではない。既製品の作り付けのシューズボックスの内部に造作をして、洗面所の物置としたのだ。僕が図面を描いた。かつて建築学科を受験しただけのことはある、とその出来栄えに感心をしている。う~ん、やっぱり、これから建築家になろうかな、とおバカな独り言を言いながら。
そんな僕はもう還暦を過ぎている。
2020.11.28


