建築家志望だった僕
ちなみに僕は建築フェチです。建造物が大好きなんです。
高校時代、友達の家へ遊びに行くと、迎えてくれた親御さんに挨拶もせず、框(かまち)のすぐ向こうの床板をゲンコツで叩いたり、玄関の三和土(たたき)に敷いてある石の値踏みをしたりしていました。
相手は怪訝な顔をします。ウチの息子にもこんな変人の友達がいたのかと——。
僕は現役のとき、千葉大学の建築学科を受験しました。1校だけの狙い打ちでした。 本当のことをいうと、まったく勉強しておらず、高校を卒業するのもやっとでした。何校も受験するのは、金をドブに捨てるのと同じことでした。
「小倉、お前の場合は大学を受けるより高校を卒業しろ。受験なんて10年早い」
担任にいわれました。茶屋下先生は英語の担当で、太子堂の下町風情な街の一角に居を構えていました。余談ですが、近くにはある女流作家の邸があり、先生はそのことをいつも自慢していました。
さて、千葉大の受験当日、すべての科目が終わったので、僕は鞄に文房具を放り込みました。そして、花畑の脇の、校舎と校舎をつなぐコンクリート打ちの連絡通路を歩いているときに呼び止められました。
「君、建築学科だけは最後に歴史の試験があるぞ。まだ帰っちゃダメだよっ」
確信犯でした。どのみち不合格は決まっていたので、大方の受験生が帰るのを見て、僕もその流れに乗ったのでした。
やっとすべてを終えて帰宅しようとキャンパスを歩いていると、JR西千葉駅もほど近い正門が見えてきました。教育学部の女学生たちが、実習なのか、子供らを遊ばせています。
教職を志望するだけあって、皆、優しい笑顔をしていました。僕はもう2度とそんな彼女らの姿を見ることはないだろう、と思うと、気持が凹みました。翌年はもう建築学科は受験しませんでした。
理由は簡単です。僕は絵が下手だったからです。建築学科は工学部ですが、デザインを扱う仕事なので、デッサンの授業があると入学案内には書いてありました。 僕は卒業した暁には黒川紀章や丹下健三のようになろうと思っていました。絵も描けないようでは、絶対に彼らのような一流建築家には成れない、と頑な思いを抱いていたのです。
僕は愚か者でした。2級建築士の資格を取り、苦労して1級建築士となり、庶民住宅のリフォームをすることだって立派な建築の仕事です。 デッサンだって基礎から勉強すれば、誰にでもそれなりのものは描けるようになるはずです。別にレオナルド・ダビンチにならなくてもいいのですから。
そのころの僕はそういうことをまったく分かっていませんでした。
2022.03.23



