5浪先輩

ブログ・文学世界ドットコム
東京農工大学HP より拝借

5浪先輩

 僕は1浪で日大の獣医に合格した。現役の時は、どの大学にも入れず——そもそも千葉大の建築しか受けていないのだが——1浪して受かったのは、日大だけだった。本当は、農工大の獣医が第1志望だった。優秀な学校だし、第一、授業料が安い。だが、落ちるだろう、ということは、受験の会場で問題を解いている時から分かっていた。本格的な記述式で、難易度も高く、思うように答案用紙を埋められなかったのだ。
 日大の発表は、父が学校まで行ってくれた。学校は、藤沢の少し手前の「六会」というところにある。むつあい、と読む。藤沢市といえば聞こえがいいが、駅前の1軒しかない小さなパチンコ店は、とうに潰れていた。
 もっとも、獣医学部は動物の匂いもするから、こういう場所が適しているのかもしれない。当時、僕は両親と西武池袋線の豊島園に住んでいて、小田急線の六会の学校までは、ドアツードアで2時間以上もかかった。
 僕が日大に通うようになって、同じクラスにいやに落ち着いた感じの人物がいることに気が付いた。助手とか講師ではない。当時は喫煙者も多かったが、彼は「チェリー」という銘柄を吸っていた。爺臭い煙草である。若者は普通、セブンスターかハイライトだった。その人物に話しかけてみると、なんと彼は僕と同じ高校の出身者だった。つまり先輩である。
 それから僕は彼を「先輩」と呼ぶようになった。だが、彼はそれを嫌がった。「同級生で先輩はないだろ」というのだ。先輩は1度、大学の一般学部に進み、それを中退し、なんだかんだと紆余曲折があって、通算5年の回り道を経て、日大の獣医に入学した。
 彼は、長後(ちょうご)という駅の近くに下宿していた。新宿から小田急線に乗った場合、六会までの間で、最後の急行停車駅である。
 僕は大学で5浪の先輩に会うと、いつもホッとした。何しろ先輩は、とても鷹揚な物腰だった。ある講義で教授の理屈を散々聞かされたのだが、その時も、
「なんだか油っこい料理を、たらふく喰わされたような気分やな」
 と、翁のようなことをいった。
 5浪先輩は、苦労している分、今頃きっと、いい獣医師として、動物の面倒を見ていることだろう、と僕は思う。
 話は相前後するが、父が発表を見に行った時、胴上げをする一団がいたそうだ。中心にいて宙を舞っていたのは、5浪の合格者だった。栃木県の研数学館に通っていたという。栃木県ではナンバーワンの予備校だった。ただ僕は、彼とは直接話したことがない。
 当時の獣医学部の1年生の中には、5浪相当の入学者が、少なくとも2人はいたことになる。
 かくいう僕は、最初の半年で獣医を辞め、北大の文科系に進んだ。父が役人だったので、似たような道を歩もうとしたのだ。我ながら自分の信念のなさには呆れる。
 いまからもう40年も前の話である。2浪や3浪は当たり前の良き時代であった。

2020.03.09