女だてらにストリップを拝見した私

佐藤愛子先生を筆写
小倉 遊亀『浴女 その一』

 筆写をまた始めた。手本は、作家・佐藤愛子だ。この8年間必死に修行を続け、文章の「イロハ」は体得したが、未だ「ホヘト」が解せない。漫才師が集まって夜中、テレビで話しているのを見ていると、まるで学校の職員室の先生方のようだ。一方、本物の先生は10人で徒党を組み、自分たちが勤める小学校の女子の写真を収集していたらしい(ニュース報道より)。こんな現実を佐藤愛子ならどう書きくだすのであろうか。僕は、60歳をとうに過ぎた。時間がない。こうなったら霊媒師を呼んで——、佐藤愛子の生霊に取り憑いてもらうほかないかとも思う。

 小倉 一純

女だてらにストリップを拝見した私

 むかしむかし久米の仙人は、吉野川のほとりで洗濯をしている若い女の子の白いハギを見て、たちまち仙術破れて雲よりおっこちて来たという。この久米の仙人という人は男の代表者ともいうべき人物で、オトコとは、かくも女の肌に対して己を失う獣性の持主であるから、皆さん、よく気をつけねばいけません。
 なぜ男は女の肌に我を忘れるのか? さわりもしないで、見るだけでなぜ己れを失うのか? 純真なる女学生であった私にはその実相がわからぬままに、そのとき以来、いくらかオトコをナメるような気分が起ったといってもいい。ハギ見て雲から落ちる男は、おそろしいというよりあわれでないか。いやらしいというより滑稽ではないか。そのハギの持主である女としては、持つなといってもつい優越感を持ってしまう。たとえビリッケツで学校を卒業しようと、器量が悪くとも、貧乏であろうと、”白いハギ”、それさえあれば男の仙術は破れるのだ。白いハギがくろずんでしなびた大根にならぬ限り、女は常に男を見くだすことが出来るのだ。女にとってはこれはトクな話というべきではないのか?
 かつて明治何年かに池田亀太郎という男がいた。夜な夜な町をさまよい、銭湯あらば近づいて、女湯を覗いては劣情を満たした。この池田亀太郎が出歯であったためにデバ亀という言葉が生れ、
「出歯亀——
 明治時代の変態性欲者池田亀太郎に基づく。出歯の亀太郎の意。転じて、助平男のこと」
 と「広辞苑」にまで載るような名士となった。
 かくして女の肌に対する男のあわれにも切実なるこの関心は、戦争時代、平和時代を問わず連綿とつづいて今日にいたったのである。軍隊の中でタイトスカートの女の子の前に坐って、奥を覗かんと熱中するあまり座席からすべり落ちた男、銭湯の番台越しに一念こもりたる目指しを女湯の方に投げる男、ミニスカートの女子社員の机の下に、やたらと鉛筆を転がす男……それら、連綿とつづくクメ仙人の子孫たちの哀しき性に目をつけた人が、あるとき(それは多分、昭和二十二年だったと思うが)東京は新宿に、ストリップ額縁ショウなるものを考え出し、裸の女が舞台にしつらえた額縁の中に立つだけで、敗戦後の腹空かした男たちが、スキ腹も忘れて殺到したのである。それをはじまりとしてストリップ劇場は燎原の火のごとく全国にひろがって、津々浦々のクメ仙人の子孫たちを吸収したのであった。
 そのうちに動かぬ女が立っているだけでは面白くないとあって、オッパイあらわな女たちが踊ることになった。腰を前後にふったり、お尻をまわしたりして挑発する。さらにまたそれだけでは面白くないということになり、入浴ショウなるものが考え出された。舞台にしつらえた浴槽にシャボンの泡を立て、その中に入った女の身体を、客席の男が出て行って洗うという寸法である。私の友人の中には毎日、その洗い役を志願していたために、ついに手のひらの皮膚がフヤけたという勇者もいるのである。入浴ショウから、さらに進んで、今度は舞台に上がったお客を坐らせて、ストリッパーがタバコを吸わせたり、おしぼりで顔を拭いたりというサービスをするショウが考え出された。目の前にオッパイがぶらぶらしているのを横目で見ながら、メンタルテストを受けている学生みたいに、まじめくさってタバコをくわえさせてもらっているオッサンを見たことがある。
 このようにしてストリップの内容は幾変転しつつ、二十五、六年をピークとして、三十年頃からは、斜陽の影濃くなって来たという。
 なぜストリップが衰微して来たか?
 答えは簡単だ。巷に女の肌が氾濫して来たからである。
 かのクメ仙、デバの亀さん時代は、女の肌を見ることは、容易なわざではなかった。当時の女は深々と着物で身体を包み、わずかに襟あしとか、着物の裾にチラつくるぶしやハギを垣間見せるだけであったから、突風の吹く日など往来の男は裾押えて歩きあぐねる女たちを見てはヤンヤヤンヤと喜んだのである。そんな風であったからこそ、クメ仙は雲から落っこち、デバ亀は女湯ののぞきにウキミをやつした。しかし当今では、いちいち雲から落ちていてはキリがない。白いハギどころか、フトモモ、ヘソの氾濫である。時代はものすごいスピードで過ぎて行く。ミニスカートの机の下に鉛筆を転がす男など、もう古い。今や「見ィチャッタ、見ィチャッタ!」のたのしみは、男たちより奪い去られんとしている。見るまいと思っても、目の中にとびこんでくるフトモモ。このフトモモのインフレはクメ仙以来の男の伝統をどのように変えて行くのであろうか!

 某月某日、私は九州のさる温泉場の「温劇」と称するストリップ劇場へ入った。その道の権威者にいわせると、ストリップショウというのとヌードショウとは区別があるというが(つまりストリップの方は脱ぐのを見せる。ヌードショウの方は、ハダカそのものを見せる)、私にはこの「温劇」で演じられていたショウが、ストリップの方なのかヌードの方なのかよくわからない。「温劇」というのは温泉場の劇場というイミなのか、そのへんのこともよくわからぬ。しかしそんなことをいちいち詮索するのも私が女であるからであって、男の方は温劇であろうとウン劇であろうと、何だっていいのだ。とにかく女が出て来て裸を見せる。オッパイを、ではない。ヘソを、ではない。丸裸を、である。どうやらそこが新時代のストリップが行きついた地点らしい。
 そこは劇場といっても実に狭い。タタミ三畳敷きほどの舞台。客席は折りたたみ式の椅子が十二、三脚、二十人も入ればいっぱいになってしまう狭さだ。そこにストリッパーが出て来てレコードの歌声に合わせて踊る。いや、踊るというより身をくねらせる。
 ♪……若い身だもの花だもの
  二度や三度でやめられましょうか
 はじめに出て来たのは何とも大きな女で、年は三十二、三になっているだろうか。舞台いっぱいに立ちはだかった感じ。空色の着物を着て音楽に合わせて身をくねらせながら帯をとき、「アイヨ」とその端をカブリツキの客に持たせた。客がその端を持つと女はクルクルと回って帯をとき、伊達じめをとき、さらに同様のやりかたで腰ヒモをとき、さて着物を肩よりすべり落とすという段どりである。腰紐を持たせてもらったオッサンは、お祭りで御輿の引綱を持たせてもらった子供よろしく、無邪気に相好くずして紐を握りしめている。が着物を脱ぐと下にはブラジャーと花模様の鬼のフンドシのような布をつけているだけだ。女はブラジャーを外し、鬼フンの紐の結び目のあたりに手をかける。不思議な静寂。かたずをのむお客たち。その一心フランな顔つきは手品師の手もと見つめる子供に似ている。
 ♪一から十までやってみて
  アアやってみて
 そこでパッと鬼フンが外れるのかと思いきや、手はスルリと紐の上を通り過ぎて踊り手ブリとなる。たちまち場内に溜息とも嘆声ともつかぬざわめきが起る。シルクハットより鳩が出るかと思ったのに、手品師がわざと失敗してみせたときのあのざわめきである。女の手はまた紐へ。また通り過ぎ、また紐へ。たまりかねたウスハゲのオッサン、
「早うとれ!」
 とどなれば、同じ思いの男たち、口々に「じらせるな」「コンチクショウ!」などと叫ぶ。と、鬼フンはスルリと外された。一瞬、ひろがる凝視の静寂。ああ何というひたむきさ、何というあどけなさ。四角い顔も丸も長細いメガネもハゲも、一様に相似たひとつの子供っぽい表情となって、外されちゃ鬼フンの下をしげしげと見上げている。ストリッパーは前後に腰をふり、片脚をパッと上げ、一瞬、パッと股をひろげてパッと閉じ、舞台に横になって高々と脚を上げたりしながら、悠然と客の顔を見下ろしている。
「どんなもんダイ!」
 という目だ。
「アホウ!」
 という顔でもある。
 女のハシクレである私には、そのストリッパーの優越感はよくわかる。侮蔑もよくわかる。それからほんの少しの親愛感も。しかし男たちにはそれはわからない。わからないのも当然だ。ストリッパーの顔など見ている男なんて一人もいないのだから。どの男の目もただひたすら一点に集中しているのである。
 お揃いの宿屋の浴衣を着て、十姉妹のようにカブリツキにズラリと並んだ男たち、舞台の床にアゴをつけ、あるいは頬をつけて下よりじっとストリッパーを見上げている。女の裸を見るのに、なぜ舞台に頬をつけねばならぬのか。カブリつきの次の列にいる男は出来るだけ低く低く身をかがめ、あたかも敵前の兵隊のごとく匍匐前進の姿勢である、その姿勢のまま女の脚が右を向いて上がると右へ、左を向いて上がると左へ、いっせいに動くそのさまは、ざわざわと風にゆれる稲穂か、はたまた女の股間に従うマスゲームのようでもある。
「おじさん、口、開けすぎとるよ」
 音楽に合わせて身体をゆすりながら、ストリッパーが一人のオッサンにいった。我れに返ったようにどっと笑う客たち。何も笑うことはない。自分だって開けてたくせに。
 一人のストリッパー、舞台より手をさしのべて客と握手をする。別のストリッパー、客の一人を招き寄せて、乳房にさわらせる。ストリッパーいわく、
「わっ、キモチわるいねえ。ジットリ汗かいて……」

 手に汗にぎる、とはスリラー映画で美女の背後に悪漢の影迫り寄るときだとばかり思っていた。男には女にはわからぬ汗のにぎりようがあるとはこの年まで知りませんでしたよ、全く。
 ところで、その道の権威者に聞くところによると、ストリップショウはついに最後の行詰りに来ているそうである。その行詰りを打開するために考え出された全ストでさえ、ただの全ストでは客はもう魅力を感じないという。客はさらに強い刺激を求めている。そこで「特出」とか「オープン」などという演出が考え出された。「特出」といっても、「特別出演佐藤愛子」などという特出ではない。「特別に出す」という特出だ。オープンとは、すなわち「開く」の意である。しかし実際にはオープン、特出などはその筋から禁じられていることであるから始終、やっているわけではない。運がよければ(?)見られるかもしれないし、あるいは話ばかりで実際にはない”まぼろしのオープン”なのかもしれない。
 しかし客はそのオープンを期待して入場料五百円也をフンパツして一夜ねばるのである。そうしてストリッパーの股の動きにつれて、つぼんだり開いたり、棒倒しをやったり、マスゲームになったり、吐息をつき、口笛を吹き、ストリッパーのご機嫌とりに一生懸命に拍手をする。
「ええオッパイやぞォ。たまらんのう」
 などと叫ぶ。お世辞使えばオープンでやってくれるかと思うのがあわれでもあり、可愛くもある。
 ここは東京ストリップ会の女王ともいうべき某劇場。エレベーターを出れば赤いカーペット敷き詰めたる豪華な観客席。客は折り目正しい背広にホワイトカラーの男たち、彫像のごとく微動だもせずに舞台に見入っている。
「あの人はあたしが女になったとき、あたしのことをエメラルドのようだといったわ」
 舞台の手前のセリ出しで、黒いすけたネグリジェの女がそんなことをいっている。客席シーンとして音もなし。
「あたしがはじめて喜びを感じたとき、君はルビーのような女だといったわ、ウフフ……」
 客席シーン。
 やがて彼女はネグリジェを脱ぎ、舞台中央のベッドに入ってブラジャーを外す。客席シーン。
 毛布の下で音楽に合わせて身体をモゾモゾと動かし、やがて片脚をニュッと突出すと、その脚の先にパンティーが引っかかっている。客席シーン。
 女が踊ろうがオッパイが出ようがパンティをぬごうが、寂として声もなく拍手もなく、そのさま参禅の僧かと思えば、お預けをくっているワン公のようでもあり、ただ無表情に凝然と動かない。この沈黙はホワイトカラーの誇りゆえか。まさか女のオッパイ見て硬直部分が全身に及んだわけではないだろう。
 さる道の権威者は、それはおそらく失望の沈黙なのであろう、と指摘した。エリート・ゼントルマンであるから、お行儀正しく見ているというわけではない。オッパイ、ヘソではもはや感興が湧かぬからシーンとしているのだという。そのホワイトカラーに温泉宿の浴衣を着せて”温劇”あたりへ連れて行ってみなさい。たちまち人相変りて手を汗ばませ、
「もっと見せろ!」
 などと叫ぶようになるであろうという。
 ストリップを見る男は、欲求不満が解消するために行くのだ、といった人がいる。しかし女の股ぐらを見てなぜ欲求不満が解消されるのか、私には全く不可解である。欲求不満を解消するために出かけて行って、ますます欲求不満になって帰ってくるというのが実相ではないのか。

 しかしある日、私が行った某市の某劇場では、カブリツキに坐って競輪新聞を読みつつストリップ見学をしている中年男性がいた。また別の劇場ではマスゲームに熱中している男たちの中で、稲穂の中で案山子のように悠然と眠っている初老の男を見かけた。もはや特出もオープンも彼をふるい立たせはしないのである。彼は欲求不満を解消するためにストリップに行くのではなく、欲求不足を補うために出かけて来たものにちがいない。しかしながら、彼にはすべてが退屈で空しいのであろう。もはや何ものも彼を動かすことは出来ない。とどろく流行歌の中でスヤスヤと眠る彼の隣では、赤いシャツを着たおかっぱ頭の青年がわっと立上がり、花道へ出で来てしゃがんだストリッパーの股ぐらに顔をつっこもうとして、別の男に押しのけられ、さらに後から押しよせた別の男の下敷きになって声もなくもがいている。
 ああ、天上のクメ仙は、この情趣なき男の群れをいかなる感慨をもって眺めていることだろう。吉野川の洗濯女は白きハギでクメ仙を悩殺したが、これからの女はいったい何で男を悩殺すればよいのか。巷に氾濫するフトモモは女の武器を失わせつつある。女は自らその武器の値うちを下げつつある、もうエロチシズムもヘチマもないのだ。情趣もなければ風情もない。丸裸の女たちが街頭を行進して来ても、男たちはどこ吹く風とソッポを向いている時代がやってくるかもしれない。

 女性の皆さんよ。
 女はもう、自分が女であることに安心しておられぬご時世が、そこに来ているのではありますまいか。

※佐藤愛子『愛子の風俗まんだら』(朝日新聞社、1972年8月)より筆写。
(本書は「週刊朝日」に昭和44年9月19日号から昭和46年12月10日号まで連載されたものを収録)