蘇える印籠

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事前説明

 なんで今さらこんなことを書くのか。生得の発達障害なら自分で昔から分かっていたことでしょ? と思われるかもしれない。
 僕が発達障害であると専門医のクリニックで判明したのは50代に入ってからだ。それ以前にも、30歳を目前に精神的健康を損ねた時期もあったが、その折りは仕事を休んで回復し、転職している。医師は診断書に具体的な傷病名は記述しなかった。
 僕が自分を障害者であると初めて意識したのは、この発達障害が判明して以降のことである。その頃、僕は、いろいろあって、以前好きだった本をほとんど読めない状態になっていた。好きなPCに毎日向かい雑多な情報を仕入れていたが、それが僕のすべての情報源だった。
 2025年に入り、毎夕の晩酌も控えるようになり、そのせいか、このところその読書習慣も戻って来て、これまでの状況や経緯を、ようやく、自分の心の中で言語化できるようになってきた。
 
小倉 一純

蘇える印籠


 発達障害と診断されたのは50代に入ってからである。僕の場合、ASD(自閉症スペクトラム障害≒アスペルガー、この言葉は現在では「DSM-5」という標準診断手引きから削除され、ASDに統合された)とADHD(注意欠陥多動性障害=よくいう落ち着きのない子供、大人になっても直らない)の診断を受けた。具体的な割合は知らないが、ASDとADHDは半ばセットのようなものだと僕は思っている。いろいろな書籍を紐解くと、この組み合わせで診断を受けている人が実に多い。

 とにかく眠かった。中野の都立富士高という学校に通っていた。当時は、都立高校の「学校群制度」の真っ只中で、都立富士は都立西と32群というタッグを組んでいた(入学願書はその32群に提出する。西高を直接の志望校とすることは制度上、不可能だった)。そのお陰で(都立西は都立日比谷と並んで超名門校だった)、都立富士の進学実績は伸び、僕の世代で最高潮に達した。その代わり都立西の進学実績は暴落し、それは他の都立名門校も同じだった。都立富士のように学校群制度の恩恵を受けたのは、稀なケースであった
 弁当を食べ終えた5時間目・6時間目の物理の授業は、眠気との戦いだった。高校1年の時、この時間はずっと寝て過ごした。物理の教師から担任に申し送りがあり、散々、注意された。当時は、発達障害という概念がまだなかったから、自分でも「昼食後の満腹感で嫌いな物理の授業中に居眠りをしたのだ」と思い込み、黙って叱られていた。しかし、冷静に考えれば、物理は、僕の得意科目だった。京大の赤本(過去問集)では物理だけ常に満点を取れるまでになった(その後僕が進学したのは北大経済系)。


 会社に入って車を買った。製鉄会社の独身寮で暮らしながら、夜な夜な京浜工業地帯へドライブに出かけ、様々な工場を見て回った。工場の夜景は美しく、製造装置が発する音にも魅力を感じた。しかし、行き帰りに使う高速道路では、毎回居眠りをしそうになった。助手席の同僚に何度も叩き起こされた。慣れない社会人生活で疲れていたのだろうと思っていた。

 50代になって発達障害の診断を受け、自分がASDとADHDであることが分かった。ADHDによくある症状の一つが「眠気」である。医学的には「傾眠傾向」と呼ばれるらしい。発達障害者の体験談では、「子供の頃は熟睡できたが、高校以降はスッキリ目覚めたことが一度もない」と語る人もいる。

 薬がある。リタリンとコンサータである。どちらも眠気を改善する薬だが、リタリンは麻薬成分を含んでおり、現在ではADHDへの適用が中止されている。一方、コンサータはリタリンと同成分だが、徐放剤で即効性はない。それでも、登録医による処方と患者登録の義務がある。僕はまだ処方されたことがない。
 現在服用しているのは、ストラテラ(アトモキセチン)である。ノルアドレナリンのシナプス(神経と神経のつなぎ目)での再吸収を阻害し、体内のノルアドレナリン濃度を高める薬である。この薬は、僕の場合、過集中に効き目がある。
 発達障害の人間には「過集中」というものが往々にして存在する。作家や漫画家がよくインタビューでこの言葉を使う。締切間際の徹夜が続くうちに疲れをまったく感じなくなり、驚くほどの集中力で仕事を最後までこなしてしまう、という嘘のような本当の話である。


 過集中のメカニズムであるが、前頭前野の機能が低下し、自己制御が難しくなる。つまり過労という危機を回避する能力を失いつつあり、脳内ではドーパミンとアドレナリンが大量に分泌されるため、疲労や痛みをまったく感じなくなる。しかし、その代償として、数日間の徹夜後には完全に力尽きてしまう。もはやボロ雑巾同然の状態である。
 僕が知る女流作家の話では、その人は小説を一本書き上げるごとに入院するそうだ。これは過集中が原因ではないだろうか。


 僕は、現在、文筆家修行中である。いい歳になったが、自分の作品を書くときは関心が高いため、なんとか眠気に打ち勝ち、一晩で結構な分量を書くことができる。しかし、他人の文章を筆写する仕事の場合はどうしても眠気が襲う。
 もし出版社に勤めていたら、そんな言い訳は通じないかもしれない。しかし、眠気はASDとADHDの主訴のひとつであり、生まれつき眠いのだから、上司に文句をいわれても実際にはどうにもならない事柄なのである。
 今時の人は羨ましいと思う。たとえ発達障害であっても「療育」という訓練があるし(ただし、発達障害者が健常者の作った社会に適応するための訓練という趣旨は気に食わない。多数派が正統というのは、極めて、間違った思想である)、発達障害者も弱者のひとりとして大切にされる。僕らの世代では医者でさえ発達障害という概念を知らなかった。


 アスペルガーという名称の由来についてであるが、オーストリアの医学研究者、ハンス・アスペルガー(Hans Asperger)の名にちなんでいる。彼は1944年の論文において、一般の子供とは異なる特性を持つ児童を「自閉的精神病質(autistic psychopathy)」と定義し、その特性について詳しく研究した。
 しかし、「アスペルガー症候群」という名称を広めたのは彼自身ではなく、1981年にイギリスの精神科医ローナ・ウィングが彼の研究を再評価し、この診断名を確立させた。
 僕は1958年の生まれだが、当時は発達障害に対する知見は既に存在していたものの、世の中にそれが普及するのは、まだまだ先の話であった。


 結局、僕は居眠り高校生から居眠り社会人となり、今は居眠りジイイである。そういえば「居眠り狂四郎」という田村正和(最近亡くなった二枚目俳優)の当たり役があったな……違うか、ああ、「眠狂四郎」だった。
 もしタイムマシンで過去に戻れるなら、「ASD&ADHD」と金文字を記した印籠を居眠りで僕を叱責する教師の前に突き付けてやりたい。高校では3年間、教師に叱られっ放しだった。もっとも僕は幼稚園の頃からそうだったけれど。もし過去に戻ったら、教師たちに「控えおろう、発達障害でござる!」と印籠を振りかざしてみたいという衝動に駆られることがある。
 僕が「先生」という種族を嫌いなのも、これを一読すれば理解してもらえると思う。先生とは、教師、医者、政治家、名士などを指す代名詞である。
 もちろんいい先生もいた。小学校1年生の時の担任、佐藤先生は、「理由は分からないが、経験上、百人に数人、小倉君のような子供がいると思っています。そういう子供は、将来はすごくよくなるか、失敗するかのどちらかなんですよ、お母さん」と僕の母を相手に地元商店街の肉屋の店先で話していた。
 そういういい先生に限って早く亡くなってしまうものである。佐藤先生は40代に入りすぐに故人となってしまわれた。神が遣わした天使だったのかもしれない。男性の教諭だった。その頃、僕は、中野区立中野本郷小学校に通っていた。

小倉 一純

印籠(イラストACより)

「蘇える印籠いんろう」というタイトルは角川映画『蘇える金狼きんろう』(松田優作主演)をパロッています。

 印籠と日光東照宮の関連性(ステップ方式|昭和世代には常識化している)

  1. 日光東照宮
    → 徳川家康を祀る神社であり、華麗な装飾と荘厳な建築美が特徴。
  2. 東照大権現とうしょうだいごんげん
    → 徳川家康は「東照大権現」として神格化され、日光東照宮の御祭神となる。
  3. 家康の墓・菩提寺
    → 家康の墓所は日光東照宮にあり、歴代将軍たちも家康を敬った。
  4. 天下の副将軍
    → 徳川家の分家である水戸徳川家は、特に朱子学を奨励し、「天下の副将軍」として名を馳せる。
  5. 水戸黄門(徳川光圀)
    → 水戸藩の第二代藩主。『大日本史』編纂に尽力し、学問と政治の調和を図る。
  6. 水戸黄門の印籠
    → 「この紋所が目に入らぬか!」で有名な印籠。水戸徳川家の権威を象徴し、家康の影響を受けた歴史の流れを示している。