岡部 純一 君

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札幌市街地から藻岩山を臨む(フォトACより)

岡部 純一 君


 最近、ユーチューブでインフルエンサーとかいわれる頭のいい高学歴の若者はほとんどが大学院卒業以上なんですね。驚いてしまいます。僕は1984年の北大・経済学部の卒業ですが、大学院に進んだのは総勢120名の内、1名だけでした。
 彼は大学教授になったので、実名公開しても問題ないと思います。岡部純一君といいました。札幌南高の卒業です。皆さん知らないと思うので書いてしまいますが、札幌市というか北海道では、札幌南高と札幌北高が進学実績でも双璧です。
 歴史的にいうと札幌南高に軍配が上がるのかな。ススキノでよく札幌南高のOBたちが、「札幌をつくったのは俺たちだもんな」と気焔を上げていることがありました。札幌の政財界にはそれだけ南高出身者が多いということなんでしょうね。
 南高は、北大だけでなく東大にもずいぶん進学しています。北海道電力や北海道新聞、それにテレビ局などもありますから、東大を卒業してUターン就職という人も昔はいたと思います。
 話が反れましたが、岡部君は高校在学当時から、風貌は学者で、成績も良かったのに、なぜか北大へは1浪で入学しています。彼の高校時代の同級生もどうして彼が浪人をしたのか理由が分からないといっていました。
 そんな岡部君ですが、新入生だった頃、僕の話が面白いといい、わざわざ僕の学生寮まで泊まりに来たことがありました。
 僕の住まいは、札幌市中心部からは少し距離のある、藻岩山もいわやまの麓にある学生寮でした。僕の父親が東京で勤める電々公社(現NTT)の子弟寮という性格の寄宿舎でした。部外者立ち入り禁止という厳しい規則があったので、こっそり手引きをして岡部君を泊めました。帰り際も同じです。
 彼は勉強のほかに幽霊話に関心があったらしく、僕は当時、その手の話を好んでしていました。
 彼は結局、横浜国立大学の経済統計学の教授になりました。まったく知らなかったのですが、実はもう何十年も、彼と僕とは会おうと思えば、意外にも、近くに住んでいたことになります。僕は、北大在学中、精神的に病んでいたわけではありませんが、健康な発展家のように、誰とでも幅広く付き合うというのは無理でした。
 岡部君は、良くも悪しくも、学者タイプを絵に描いたような人で、僕は、彼はとても好人物だと思っていました。
 つい最近、北大時代の同窓生が我家に集まったのですが、その話の中で岡部純一君は2021年に既に亡くなっていることが分かりました。定年退官目前の逝去でした。
 集まった皆で昔話をしながら彼の思い出話に花を咲かせました。

小倉 一純

※写真は、札幌市中央区南22条西8丁目近辺から撮影されています。僕の学生寮は、この通りの行き当たりの藻岩山の際にあり、山を眼前に見上げる特権を与えられていました。札幌市中央区南22条西14丁目。手前に移転前の北海道教育大学札幌分校があり、古き良き時代を醸していました。僕にとってはとても懐かしい思い出のある場所です。それに、古い友人の顕彰の意味もあってこんなことを書きました。