日本の行く末を思う、VerUP不能・昭和のオジサン

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CGは<雪煙のなかに浮かぶ露天掘り炭鉱と刻まれた足跡>by 小倉一純

日本の行く末を思う、VerUP不能・昭和のオジサン

「ぶっ殺してやりたい」「ぶんなぐってやりたい」そう思ってしまうほど、かつての北鎌倉、円覚寺での修行は厳しかった。
 当の坊主がいっていた。「北鎌倉の駅でホームに立つ時はどうしても背中に注意が向きますね」導師は、座学の演台で白い歯を見せていた。禅宗の坊主は仕事柄、自分自身が罪を犯すことに関しては神経質なほど厳しく管理しているとも語っていた。
 その一が、車の運転。善徳功を重ねるように他人様に説く立場の者がその他人様を傷つけてしまっては何の意味もない。その二が、浮気。他人様に常識を重んじよと説いているその身が女人と不道徳を重ねたのではもうお終いだ。
 坊さんは毎年たくさんの終了生を世に送り出す。彼らと思わぬところで鉢合わせとなり、「導師、お食事でも一緒にいかがですか」と誘われることも珍しくないのだとか。「この皿に毒が仕込んであったらどうしようっ」と、相手によっては、そんなことが脳裏を掠めることもあるという。
 余談であるが、和食の懐石などならいいのだが、ホテルのディナーなどに招かれると困るのだそうである。何しろ洋食では背中を丸めなければ食事ができない。禅僧にとってそれは大敵だ。
 すでに作品(←click!)でも書いたが、僕はその円覚寺の若き修行僧にこれでもかというくらい殴られた。社会人になって数年経った頃だった。僕は、彼に右の頬を打たれた次の瞬間に、不敵にも笑みを浮かべながら、左の頬を突き出してやった。僕はあの時ほど人が怒ったのを見たことがない。
 最近、98歳を迎える高齢の母の在宅医療で大勢の医療従事者・関係者が我家を訪れる。僕自身も精神科の在宅医療を活用している。驚くのが、若い担当者はどんどん辞めて、次から次へと新しい若者が入ってくる、ということだ。医療従事者の内、40代以上の管理職クラスの人に尋ねると、最近の若い人は、まず第一に、パソコンができない(スマホは上手い)、第二に、ストレス耐性が弱い、という。
 昭和の頃、近所のおばさんがよく「日本は平和だから」といっていたが、今どきこんな平和ボケの考え方を持っている日本国民はもう一人もいないと思う。日本は小さな海を隔てて、ロシア・中国・北朝鮮と名立たる独裁国家群のご近所である。
 最近の若者は、小説やエッセイなど文学を読まなくなったせいか、「行間を読む」ことが不得手である。その証拠に、SNS上の見も知らぬ他人の甘言にすぐに乗ってしまう。例のブラックバイトのことである。
 こういうことも考え併せると、今の若者に国防を任せておくと、近い将来、僕らは、ロシアや中国、北朝鮮の奴隷となり、北の果ての炭鉱で露天掘りの人夫として働かされることになるのではないだろうか。恐怖の構図が夢枕に浮かぶ。僕って頭がおかしいの? 精神科のダクトゥーにもっとお薬もらった方がいいのかしらん? 
 今の若者に腫物のように接するのは結局、将来自分の首も絞めることになると僕は思う。

 VerUP不能・昭和のオジサン
 小倉 一純

※昭和時代、九州や北海道で活躍した炭鉱労働者は高度経済成長期に日本を作った人々です。