神様に出会ったことのない男—伊東市の学歴詐称問題に思う—

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挿絵 by 小倉 一純

神様に出会ったことのない男—伊東市の学歴詐称問題に思う—

 伊東市の田久保市長(55歳)であるが、現在、彼女は、学歴詐称疑惑でウェブを沸かせている。
 同じような経験がある。僕が学歴詐称であると噂󠄀されたことがあったのだ。30歳を過ぎて転職した産業ガスの社内での出来事である。
 藤沢市にある日本大学農獣医学部・獣医学科を途中で切り上げ、札幌市の北海道大学に再入学をし、経済学部を僕は卒業している。そういう少々複雑な経歴が原因であったと思う。
 ある日、日大での思い出を語り、別のある日、今度は、違うグループに、北大での思い出を話したことに端を発する誤解であったと考える。
 ただ、含むところがある。
 例えば小学生時代、僕は最初、中野区の小学校に通っていたが、5年生の終わりになり、練馬区の小学校へ転校している。
 その場合、思い出話の場所が、中野と練馬の2箇所であったとしても、
「つまり転校したってことじゃない!」
 聞く側が気を利かせ、間違っても、小学校の学歴詐称という話にはならなかったであろう。
 獣医を中途で辞め旧帝大へ進んだという学歴自体が、傍から観ると、僕の身に付かない経歴なのではないだろうか!
 前にも書いたが、僕には「当事者感」がない。恐らくであるが、生来の発達障害からくるものだろうと思っている。その発達障害を50歳を過ぎてから僕は専門医より告知された。
 大学を卒業し、就職が決まった段階で車を購入するために実家近くのディーラーへ赴いた際に、営業マンから販売を拒否された話をそこに盛り込んでいる。
 まったく面倒くさい体質に生まれたものである、と我ながら自分を呪う。
 どこの世界に、自分の経歴を証明するために、苦労し奔走する人間がいるというのだ。
 神様がもし聞いていたら、1度電話をかけて、文句をいってやりたいものだと思う。
 プルルルル、プルルルル♪
「あっ、もすもす、こちら神様ですけど」
 頼りないのう。

神様に出会ったことのない男(小倉 一純)

◆ 小倉 一純「当事者感がない」

◆ 卒業証書は証明にはならない。以下は僕の証明書 https://drive.google.com/…/1bxk7lzXFWDLpTbLtoPD2H2…/view.

◆ ニュースを解説

 田久保市長の件を報じるマスコミ各社の記事では、「除籍」という言葉に、懲罰的意味を被せて説明しようとしている。「除籍」という言葉にはそもそも、そんな意味は含まれていないはずである。 
 僕の場合も、日大獣医学科に半年間通い、その後は北大受験を目指したから、日大後期分の学費は、意図的に収めなかった。その結果、日大を除籍になっている。「除籍」と書くと、履歴書としては世間の通りが悪いから、やむを得ず「中退」と記述するのが通り相場になっている、と僕は考える。 
 もっとも事実がないのに卒業と記述するのは言語道断である。どんな学歴であれ大方の人々は皆、苦労してそれを手に入れるものである。